【社会システムを観る #2】富士山の絶景は「0円」か「10万円」か――価格システムを疑ってみる

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前回は「GDP(国内総生産)」を取り上げ、お金の取引量(売買高)だけを追いかける社会のベクトルが、必ずしも私たちの幸せや豊かさに直結しないことを確認しました。

では、なぜ私たちはこれほどまでに「お金による取引」や「数字」に縛られてしまうのでしょうか。

その背景には、私たちが無意識に抱いている「価格が高いものほど、価値が高いはずだ」という強い思い込みが存在しています。

今回は、この「価格」と「価値」の関係性を紐解いていきます。一見すると同じように思えるこの2つを切り離して観ることで、私たちが社会システムの中で何に惑わされていたのかが見えてきます。

前回の記事はこちら ↓

【社会システムを観る #1】GDPという「ものさし」をよく観る――私たちが目指す成長の正体とは?
「GDPが増えれば、私たちは本当に幸せになれるのか?」当たり前に使われる経済指標の正体は、実はシンプルな「売買高」です。身近な日常の例から、現代社会が目指す“豊かさのベクトル”を客観的に紐解きます。

社会システムを観る #2「高いもの=価値がある」という錯覚を解き明かす

「価格が高い=価値が高い」という錯覚

今は貨幣経済、資本主義が浸透しているので、なんでも「価格」にできる感覚があります。そのため、私たちは無意識のうちに次のように考えてしまいがちです。

  • 価値の高いものは、価格が高い
  • 価値の低いものは、価格が低い

そして恐ろしいことに、このロジックは容易に逆転します。 「価格が高いのだから、価値も高いに違いない」と。

しかし、「価値」と「価格」は本来、全く別のものです。 この2つがまったく比例しない例は、日常の中に溢れています。

例①:アイドルXの私物(価値の主観性)

たとえば、ある人気アイドルXさんの私物があるとします。 Xさんの大ファンであるAさんにとっては、「100万円を出してでも欲しい価値あるもの」かもしれません。

しかし、Xさんにまったく興味のないBさんにとっては、失礼ながら「ただの不用品(ゴミ)」と同じです。

このように、「価格が高いからといって、自分にとっても価値が高いとは限らない」のです。ごく当たり前のことに思えますが、市場経済の中にいると忘れがちな非常に大切な視点です。

(※ちなみに、より多くの人が「高いお金を払ってでも欲しい」と思うものに高い値段がつくオークション形式こそが、商業・市場の基本的な原理でもあります。)

例②:窓から見える富士山(無料の価値と、有料の価格)

もうひとつ、「風景」の例で考えてみましょう。

  • 先祖代々、自宅の窓から富士山が見える家に住んでいる人
    • 毎日、無料で絶景を楽しんでいます。かかっているお金(価格)は「0円」ですが、暮らしの中に計り知れない豊かな価値を感じているはずです。
  • 富士山が見える高級ホテルのスイートルーム
    • 一泊10万円という「高い価格」がつきます。宿泊客はその価値を求めて10万円を支払います。

どちらも「富士山が見える価値」を享受していますが、価格(お金の発生)については「0円」と「10万円」というまったく違う現象が起きています。

ここでも、「価値があること」と「価格がつくこと」はイコールではないことがよく解ります。

例③:時代によって変わる価格

さらにもう一つ、時代によって価格が変わるものがあります。

例えば、お米10kgを、1950年には500円で買えたのに、2000年には2000円払わないと買えない、ということが起こります。

実際には「お米の相対的な価値」や「品種改良による価値の向上」など、色々な事情があります。ここではそれをいったん脇に置いて、シンプルに「同じ味、同じ栄養素のお米でも、価格が高くなることがある」というところに注目してみたいと思います。

では、なぜそんなことが起こるのでしょうか。

「絶対的価格」には、ほとんど意味がない

実は、「価格」というものは、あまり意味を持っていません。

私たちは普通に、1ドルと100円が同じくらいの価値で交換されるように話しますが、通貨によって数字の桁が全然違っていても成り立つ。それがお金の本質です。

もう少し言うと、次のような違いがあります。

  • 相対的価格(こっちよりあっちの方が高い) ➡️ 意味がある
  • 絶対的価格(この商品がいくらか) ➡️ ほとんど意味がない

というのは、「絶対的価格」は、通貨の流通量で決まってしまうからです。

「1万円札を、10万円札にする」と何が起きるか

ここで、前回のGDPの話をもう一度考えてみましょう。

【前回記事より】

GDPとは、【お金による取引の大きさ】を表す指標です。なので、売買ではないものは、数字に表れません。

  • UberEatsで料理を注文する ➡️ GDPが増える
  • 「煮物をつくりすぎたから」と近所におすそ分けする ➡️ GDPは0円

極端な例を挙げれば、親が子供に無償で勉強を教えることを禁止し、「親が家庭教師として子どもから代金をもらいなさい」と法律で決めたとします。すると、家庭内のやり取りがお金に換算され、GDPは一気に跳ね上がります。

つまり、もしGDPを増やしたかったら、一番簡単な方法は「1万円札を、今日から10万円札だということにする!」と決めることです。そうしたら、

  • 10kg500円だったお米は、いきなり10kg5000円になります
  • 200万円だったカローラは、2000万円になります

それくらい「価格」というのは意味が薄く、それはつまり、売買高の総額であるGDPも、それほど意味がない、ということになります。

GDPというのは、突き詰めて考えると「国民一人当たりのお小遣い×人口」です。

  • 人口が増えれば、GDPは増える。人口が減れば、GDPは減る
  • 通貨発行量を増やせば、国民一人当たりのお小遣い額は増える。減らせば、減る

(もちろん現実の経済は、生産量や技術の変化など、もっと多くの要素が絡み合っています。ここでは、「価格の数字は通貨の量に左右される」という一点に絞った、わかりやすい見方です。)

「当時の100万円は、現在の価値に換算すると◯◯円」という表記が普通に出てくるのも、同じ理由です。

では、通貨の量を自由に増やせばいいのかというと、そうはいきません。その難しさは、通貨同士の「相対的価格」が、国際関係の中に存在しているからなのですが、それについてはまた徐々にお伝えしていければと思います。

総括

値札の数字だけを見ていると、見誤る

今回観てきたことをまとめると、次のようになります。

  • 価値が高い=価格が高い、とは限らない(アイドルの私物、富士山)
  • 価格の絶対的な数字は、通貨の量や時代によって変わる
  • だから、価格の総額であるGDPの増減だけでは、豊かさは測れない

値札の数字は、とても便利な物差しです。けれど、その物差しだけで世の中を見ていると、私たちにとって本当に価値のあるものを見落としてしまうかもしれません。

あなたにとって「価値がある」と感じるものは、値札のついていないところにも、きっとあるのではないでしょうか。

連載記事一覧(バックナンバー)

第1回:GDPが増えても、私たちが幸せになるとは限らない理由

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第2回:「高いもの=価値がある」という錯覚を解き明かす 【今回】

第3回:産業の限界と「作られた経済成長」

【社会システムを観る #3】昭和と令和で何が変わった?「経済成長が止まった本当の理由」
モノは十分に溢れているのに、なぜ私たちは働き続けなければならないのか?「失われた30年」の裏にある産業構造の限界と、社会全体に成長を強制する「金利」の正体を観ることで、現代の違和感を解き明かします。
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