「開く」と「閉じる」があるときに「開くことがとにかく正しい」にはなんか違和感を感じています

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今回の探究テーマ:20代 女性 Mさん

前回までの話も踏まえたとき、自分の中の無意識のものや感情などを閉じると開くがあったときに、「開くことが大事」「開いて表現しよう」寄りのコミュニティに所属していたときに、今の私は閉じる寄りだから、それがしんどいのかなぁと思いました。

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トレーニングするという観点でいうと極端に偏ってみるはあり得る

(今いるコミュニティでは)閉じることが良くないことで、開くことがいいことだ、みたいな薄っすら前提は多分あって、それが結構、私的にしんどいのかなって今思いました。

車を運転するのに、とにかくアクセルベタ踏みが最高なんですって、バランスに欠けてる話じゃないですか。もしこれが「開く」と「閉じる」ではなく、例えば、車の運転だとしたら。

でも、結構、ある領域のあるトレーニングしてる期間というのは、とにかくこっちじゃなくてこっちなんだと言い切った方がそれに取り組みやすいみたいのはあると思います。

レーシングドライバー目指すんだったら、スピードに慣れて、怖さを克服するために、とにかくアクセルをベタ踏みするんだみたいな、この例が本当にそうかはわからないですけど、そういう状況もあったりはするので、今回のケースでは、トレーニングなのかもしれないという可能性もあると、簡単に偏っているのは良くない!とか、良し悪しは難しいなと思いました。

戻って、今の「開く」「閉じる」でいうと、「じゃあ今これが閉じるのは適切だな」と、Mさん的には思うものでも、人によっては、「いやでもそこで閉じてるから次に行けないんじゃん」と思うものがあり得るのは、全然起こる話なんですよ。

だから、もしかしたらその「開く」を大事にしているコミュニティの人からしたら、「(Mさんに対して)いや、そこで結局閉じちゃうから次にいけないんだよな」と思われている可能性あるし、それがある種、正しい可能性もありえます。

ここまで話してみ、やっぱりすごい難しいなと思うんですけど、どちらかというと、こういう話でいったときに、自分はそこで待つタイプかもしれないです。開けたくないんだろうな。私が無理やり開けて……みたいなことも、する感じもしないしなみたいな。どちらかというと、基本的に人に対しては、本人がそう思っていないのであれば待つことが多いかもしれません。

でも、もう自分では開けらんないから、誰かにこじ開けてもらったら、結果すごいスムーズになったみたいなこともなくはないので、それもちょっと難しいなと思ったりもします。

でも、最初の話で、これは相手の問題なのか自分の問題なのか気になるんですよね、と言ったのでいうと、「なんか開いてた方がいいじゃん。閉じてるより開いてる方がいいに決まってんだよ」に、そのお相手の方がちょっと囚われてしまっていて、何でもかんでも開こうとしようとしている……、つまり相手の問題なのかなみたいに、ちょっと感じていたというのが素直なところです。

「全部感じる」と「全部そのままその場で表現する」は別

そう、なんかそのコミュニティとか、その人たちに初めて会ったときは、私がたぶん開きたいとか開かなきゃとか、この閉じてる自分に対して「おい、行けよ!」ってすごい言ってたから、それが自分の中でも正しくて。で、最近、あれ?別に閉じるのって別に、自分を守ってたりとか、なんか必要なときもあるよなと思って。え、(閉じるのも)いいんじゃね?っていうね、自分の中でね。

そうですね。なんか、そのコミュニティではその開くのがいいっていう前提があるから、距離を取った方が、その相手的にもたぶんいいんじゃないかなというか、そういうのがあるのかもと、今、思ったんですけどね。

拍子抜けするぐらい当たり前の話をするんですけど、「開く」と「閉じる」ってTPOがあって、適切に使えるべき、「べき」というと言い方としてはちょっと強いですけど、使えた方がいいし、なんだろう、その方が適切な社会生活が送れるんですよ。

思い浮かんだ例としては、お葬式に行きました。例えば、亡くなったのは親族の方で、お世話になったけど、結構ひどい目にもあったし、なんだったら大嫌いですみたいな感情があります、みたいな方のお葬式だとするじゃないですか。

で、「開く」「閉じる」でいった時、開く派は、お葬式の最中にですよ、「あなたのことなんて大嫌いだったよ!」と言いなさい、みたいな極端なことを言いかねないところがあります。でも、それは、社会生活を営む上で、非常に苦しい道です。

「嫌いだった」と、そう感じているのは素直に感じていいし、なんだったら必要な人には言ったらいいですけど、お葬式という場で、大きな声で宣言することが大事なのかと言われれば、やっぱりそれは極端だなぁとは思います。

お焼香あげた後に献杯して、後日信頼できる人に「いや、ぶっちゃけさ、お世話にもなったんだけど、結構こういう辛いこともあって、あの人に対して、幸せに天国に行ってくださいだけって思えてない自分がいるんだ」と、自己開示するくらいが、私が思う「開く」「閉じる」が適切にできている感じに思います。

だけど、「とにかく開くが大事です」みたいなところに嵌っている人は、もう葬式で暴れ出すみたいな、それが自分を生きるってことですみたいなことを言ったりされることもあるんですけど。私からすると、それは自分を生きるってことなのかな、みたいに思うところがあります。

いや、それを例えばクローズドな、開くに特化した場所で、お葬式では言えなかったかもしれないけど、今日この場では好きに開こうねとして、この場では実は言えなかった気持ちを暴れたり叫んだりする…みたいなことは、それはそれであると思います。

でもそれは、正直私からすると訓練でしかなくて、日常生活の中で、ちゃんとそれができるようなのがすごい大事だと思っています。お葬式に行ったときには、いやでも、お世話にもなったけど、でも嫌なこともあったな、楽しいこともあったけど、そういうこともあったなと思い馳せるのにとどめて。

それで消化できていないな、ちゃんと表現したいなという気持ちがあるのだとしたら、共通の知り合いにぶつけるのか、パートナーや友人に聞いてもらうのか、もうちょっと距離のある人に話すのか…それはいろいろあると思いますが、とりあえずお葬式で「あなたのこと大嫌いです!」と叫んじゃったりするのは違うかなぁと思うのです。

この場では、どういう開き具合、閉じ具合がなんか最善なのかという思考を放棄しましょうということではないよなというのが、私としてはあります。この話を聞いて、開くの派の方たちが「そんなこと言ってるから開けないんだよ」とか「もう全開で生きていけば天国が現れんのに、そういうこと言ってるから、いつまでたっても地球の文明レベルは上がらないんだよみたいに」みたいにいう方もいらっしゃるかもしれないですけど、私としては、「開く」「閉じる」が適切にできるようになることは大事だと思っています。

TPOに配慮していたら自分を抑圧することになるのか

それ思い出したことがあって。その、Mは擬態してるよねって言われたことがあって。普通に擬態してて、無視でいうと葉っぱの(コノハムシ)みたいな虫みたいな、って言われたことがあって。

あ、そうか。それを変えなきゃいけないんかって、自分の中でたぶん思ってて。でもなんか今ふと、え、別に擬態してて良くない?みたいな感じに思ってる自分がいて。だから、「開けろよ、おら!」みたいな感じも感じるから、余計にこの、ウィーンって閉じたくなるのかなって今思いました。

向き合うという意味でいくと、向き合った方がいいと、私も思うタイプなので、向き合えてないものがあるんだからちゃんと向き合った方がいいと思います。ただ、それをいつどう表現するか、やっぱりTPOがあり、TPOを無視するかどうかはまた別の話だと思っています

TPOを無視してでも表現できるのが大事だよねは、ちょっと私は意見が合わないです。

ときに表現するのは大事派の人たちの中で、たまに、TPOは何もいらないんだ。学校だろうが家の中で家族だけという空間だろうが、どこでも同じように振る舞えるということが自然体ってことでしょ、みたいな感じの理屈に飛躍することがあるなと思っているんですけど。

別に僕は電車の中で大きな声を出さずに喋っていたって、不自然な感じとか、自分を抑圧してる感じはしないし、カラオケに行って大声で歌うようなことをどこでもしたいわけではないし、抑圧してないので。TPOに合わせても、そんな自分を押さえてる感じしないので、少なくとも私は「どこでも同じように振る舞えるのは自然体」ではないし、そうできなくても全然大丈夫です。

なんか今話してて、あ、結構なんかどうでも良くなってきた感っていうか、ま、ど、どっちでもいいかな、みたいなって思ってきましたね。

今はなしたような「開きましょう」がいるのは知ってます?

知っています。

向き合えていないことがあるとしたら向き合うのは大事

私はTPOも大事って思ってるのと、繰り返し言うんですけど、向き合うのは私はすごい大事なことだと思っている人間なので、「そこを向き合えてないよね」「そこ逃げてるよね」「そこ蓋してるよね」っていうのがあると、やっぱりどこかで人生でうまくいかないなみたいなのは、それは思います。

で、「蓋してるよね」とか「向き合えてないよね」みたいに、例えば人から言われたときに、全然何を言われてるのかわからないか、「えー、蓋してないもん!」みたいな、強く反発が出てくるみたいなケースだと、本当に見えてないこともあると思うんですけど。

「そこ蓋してるよね」と、仮に言われたとして、「いや、当然、今、電車に乗ってるので。今そこを開けるタイミングでもないので」みたいなことも、全然あり得ることだと思います。そういうときには、そこに対するなんか恨みとか怒りとかありますけど、別にそれを今この場で出す感じじゃないだけなんです」と言えたらいいですよね。

あとは、例えば、私は日頃、会社員の方たちとお仕事してるんですけど、社員の方と話していて、「でもそれ、会社に対して不満に思ってますよね」ということが1対1の場で出てきて。「それは不満ですと上司に言うなり、役員の方にお伝えするなり、それはした方がいいんじゃないですか」と言ったときに、「もうそんなものを言ってもしょうがないんで」みたいなことが返ってくる。こういうケースも、それはそれであります。

このケースでいえば、そこで諦めちゃったら、諦めたなりの人生しか展開してかないですよねというのはあるので。「いや、それはちゃんと言おうよ」みたいなのも、もちろんあるんです。

だけど、じゃあ「こんなのおかしい」と、ただ不満を言えばうまくいくのかといったら、うまくいかないことのが圧倒的に多いです。何が不満で、どう変えて欲しくて、それはただ自分の、自己利益のためだけじゃなくて、会社全体としてこういう方がいいと思ってるんですみたいに、相手に話を聞いてもらわないと、結局意見が通らなわけだから。「ただ不満です」「嫌です」と騒いでも、相手も聞くのは難しいですよね。

それもちゃんと理性を働かせながらやりましょうねという……非常に当たり前の話しかしていない気もしますが、そういうことも大切ですよねと思います。

その、主張するのと、ぶつけたり攻撃するのは違うと思ってて。なんかそれが結構一緒くたになってる感じがしてるというか、なんか混ざってるなっていうのが、たぶん私が感じてることというか、感じていたりするのかなって思いました。話聞いてて。

今まで本心を言えなかった人のトレーニングとして

ちなみに追加で言うと、完全に「(自分の気持ちは)言っちゃいけない」「飲み込んでいく」というパターンを基本としている人たちは、例えば、不満を相手に伝えるみたいなときに、この蓋をしてるものを取っ払うためのエネルギーとしても、とにかく何でもいいから出してみましょう。感情の出し方のクオリティはいったん置いておき、とにかく出すのが必要というフェーズがあるは、それはそれですごい分かります。

だけど、そういうフェーズでも、当事者に、相手にそのままぶつけると、やっぱりうまくいかない。一生懸命蓋を外して出したのに、上手くいかなくて、より傷ついちゃうみたいなこととかも多々起こります。

なので、まずは感情を出すのを、とりあえず当事者じゃない人たちには言えるようになるとか、ノートに書き出せるようになるとか、そういうステップはあると思うんですね。なんか書くことすら抵抗があったりする人とかもいるので。「実は私あの人のこと嫌いでした」というのを、言葉にすること自体にもブレーキがある人はいます。

だから、あるコミュニティの中で、当事者じゃない人たちの中で言えてよかったねというフェーズはあるし、そのときに、もうなんかたまりに溜まった怒りとかが爆発して「あの人嫌い!」みたいな出たとしても、それはウェルカムだよねとのは、それはそういうものだと分かります。

だけど、じゃあそれを、当事者に言うときに、そのトーンで言ったらうまくいくかといえば、正直うまくいかないことが多い。なので、怒りを相手に分かってもらうためにはどうしたらいいのか、どういう伝え方をしたらこの不満とか怒りが伝わるだろうか、はやっぱりあって。

こんなに理不尽な目に遭ってきた自分、理不尽な目に合わせてきたあの人って、じゃあ、何であの人は、そんな理不尽なことを人にしてくる人になっちゃったんだっけ……みたいなことだってあるわけじゃないですか。それはね、やっぱりちゃんと丁寧に紐解いて、考えてやっていかないと、うまくうまくいかないですよね。

それで言うと、(私は)結構出させてもらったというか、ま、旦那にわーとかやってたから、なんかそのフェーズがなんか終わりつつあるのかなって今思って。だからまあ、その出してない人がうまく出そうってするのは無理だろうなっていうのはすごく分かるというか、そうだったよなって今思いました。

「開く」と「閉じる」について最新の自分はどうありたいのか

  • 「開く」と「閉じる」があったとき、「開いているのが絶対に正しい」わけではない
  • その人の状況やTPOなど、いろいろな観点やバランスの話はあるはず
  • 本的に「閉じている」人が「開く」訓練として、信頼できるコミュニティの中で自分を出すは大事
  • ただ、いつでもどこでも、何でもかんでも自分を出して表現したらいいはちょっと違うのではないかなが石川さんの考え
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