自分の思考パターンに自分自身で気づくのは難しい|悪い癖を繰り返してしまうのは自分で気づいて改善できるようになりたいが…

この記事は約7分で読めます。

今回の探究テーマ:営業職 30代 男性 Tさん

日々自分でも振り返りはしているのですが、石川さんと話していてあらためて思ったのは、人と話したりして、俯瞰的にみないと同じような思考パターンにはまっていることには気づけないですね…。とはいえ、悪い癖を繰り返してしまうのは自分で気づいて改善できるようになりたいけど、どうしたらいいんでしょうか。

動画で見る

記事で読む

自分で自分の思考パターンに気づくのは難しい

自分のパターンを言語化して認知するということは、当たり前ですけど、なんかすごい改めて大事だなっていう風に感じました。冒頭の仕事から婚活の話を含めて、言語としてパターン化すると、何を当たり前のことを言ってるんだっていう感覚の内容ばっかりだったのですが……それってメタ認知的に捉えないと、永遠にこう繰り返していたなと思います。自分で自分を振り返っても、同じ思考パターンなので、ちょっと上手く抜け出せない。そんな複雑なパターンではないのに、認知できないみたいなことが起こっていたなっていう風にすごく思います。

今回、Tさんと話してた文脈で言いますと、ひたすら失点しないようにしてたんだなというパターンがあったときに、でも、自分自身で振り返りをすると、例えば、目の前の事案に対して「今日は失点しなかったはずなのに、なんで次に進まなかったんだろう?」という問いかけを自分にしてしまいます。

前回の話で、Tさんは婚活相手と会話するときにひらすら「失敗(失点)しないように」を意識してばかりで、相手と「楽しく過ごす」みたいなことが いまいちできていませんでした。

失点しなかったら次に進むはずなのにと思ってるから、「失点しなかったら次に進むはずなのにという前提がおかしいのかもしれない」ということを問い直すことは、結構、1人だと難しいです。けど、人と話していると、割とあっさり「え、なんで点を取りにいかないの?」とか言われて、「確かに」と気づいたりできるということはあります。やっぱり振り返る方法の1つとして、人と話すのはすごく価値があります。

知人から聞いた話で興味深かったのが、知人がとあるプロ野球団の方から聞いてきた、「人が本当に変容する、変化や進化するみたいなのは4つしかない」という話でした。

  1. ジャーナリング(journaling):とにかく書き出す
  2. メディテーション(meditation):瞑想する
  3. ダイアログ(dialogue):対話する
  4. ピュアフィードバック(pure feedback):相互フィードバックをする

1人でもできるジャーナリング(書き出すこと)や瞑想でも、確かに気づきが起こったりすることはありますが、やっぱり人と話すっていうのは、すごい有効な手段なのだろうなと思います。当然他者は、自分と違う視点を持っていますし、いい意味で他人事として冷静に俯瞰して見やすいですし、「(自分では気づいていなかった)あなたそれ、前も言ってたよね」みたいなことに気づきやすいですので、やっぱり人と話すっていうのは、1つ非常に大事です。

適切に健全な範囲で自責思考を持てると理想

なんか自分で振り返ると、パターン認知できませんっていうのと、さっきの話でいうと、自分が点を取られないようにという前提で動いていたときに、点を取られなかったのにうまくいかなかったのは、相手が興味持ってくれなかったからだ、みたいな、相手の所為にするパターンもあったなと思って。パターンというか、そういう思考を進めてたなと思って。

その、人に話すにしても、自分は悪くないという前提で、他責っぽく話してしまうこともあるかなと思ったのですが、そうなってくると、人と話してもパターン認知が、適切にできないのかなと思うのですが、そのあたりってどうしたらいいでしょうか?

ちょっとこれ誤解が生じちゃうと思うのですが、一旦素直に答えますと、私の場合は、1つはすごい自責で考えるです。何か起こってうまくいかなかったら、自分の何がおかしかったんだろう?という考え方をするのです。

それを考えていったときに、とはいえ、これはコントロールできないぐらい、相手の方に責任があったなとか、相手の個性の問題だとか、相手の状況の問題だとか、これはさすがにこの後もう1回起こったとしても対応できない、推察できないなみたいな風になるラインはあります。ですが、一旦、まず自分にとってストレスがあったり、うまくいってないみたいなことがあったとしたら、自分の何がおかしいんだろう?と問いかけるというのは、まず1つ、私はパターンとしてあります。

自分を振り返る方法の1つだとは思いますが、全部自分が悪いんだという思考もあまり健全ではありません。何もかも全て自分のせいなんだみたいな。変な話、それをやってると、今ウクライナとロシアで戦争してて、人が死んでるのも私が悪いんだみたいなことになってしまうからです。

それは、さすがに自分のせいにしすぎではないだろうか?と、多くの人は健全な感覚として持つと思います。でも一方で、「この間、上司と喧嘩してさ」と言っていた人が、部署移動して、半年後にも「なんか上司と喧嘩してさ」って言っていまして、転職して次の会社でも、「上司と喧嘩してさ」と言っていたら、「この人、上司とよく喧嘩しているな」となると思います。でもこれを本人が自覚するのは、なかなか難しいんです。

まず自責で考えるを適切な範囲にだけ適応させられるのが理想ですが、いったんまずは何でも全部自責で考えるくらいの意識でいないと、これは私の所為じゃないと他責になってしまうのが難しいところです。

自分の責任だと認めたら責められることへの抵抗感

なんかここまでの話と連動性のある発言じゃないかもしれませんが、基本は自責で考える部分も、自分はあると思いますが、他責思考になってしまうのは、これもなんかさっき出てたのですが、自分がミスっているということを認めるのが、ちょっとなんか抵抗感があって、相手のせいにしてる部分もあるような気もするなって思います。それはある気がします。

自分のミスや未熟さによって、この状態が起こってしまっている。この状態というのは、望んでない状態が起こってしまっているということを認めるのは、普通にストレスです。

それを、例えば、人から言われるのも嫌ですし、責められるのも嫌なことです。でも結構パラドックスがあって、ちゃんと自分で認めてごめんなさいを言えると、意外と人から責められないみたいなのも、だいぶあるなとは思うのですが、とはいえ、自分の方が悪かったかぐらいに思ってたときに、強い勢いでガンガンと「何であんなことをしたんですか」「これはあなたのせいですよ」とか、過去に言われたことがあるみたいなことも、普通に過ごしていてもあったりとかするので、そういう経験があると、認めたらあんな風に言われるのか、みたいなね、思ってしまって認めたくないみたいなことも起こります。

また、ちょっと理不尽なことがあって、明らかにこちらのせいじゃないのに、お前のせいでみたいに言われた経験があると、「私の所為じゃない」とちゃんと他責になって弾き返す方を必死に習得してきてるとか。そういうパターンも、あったりとかするかなと思います。

私も、やっぱり、ごめんなさいを言うのはすごい苦手で、今でも別に好きじゃなくて、どちらかというと、未だごめんなさいは言わない方だとは思います。でも、そういうのも、だんだん緩んだり、上書きされていったりしますし、やっぱり成功体験もあって、ちゃんとごめんなさいできたら、周りの人も、いい意味で忘れてくれる、流してくれるみたいな経験が増えたり、自責で認められることで自分の心持ちとか行動が変わって、いろんなことが前より良くなるみたいなこととかもあるなと思います。

非常に単純な例えなのですが、毎回待ち合わせ時間に3分遅刻するみたいなことしていたりするじゃないですか。ずっと3分ぐらいいいじゃないですか、みたいな心持ちでいたけど、これはやっぱり自分の甘えだったな、未熟さだったな、申し訳なかったなと本当に反省して、ちゃんと時間通りに行くようにしたら、やっぱり前よりストレスなく着けるようになるとか。例えばですけど、ちゃんと自分で悪いところを認めて反省したら、やっぱ良くなるんだな、みたいな経験もそれはそれで積むことができるものです。

その成功体験によって、他責にしないで自責でとらえることの抵抗が減ってくみたいなのことは、あるかなと思ったりはします。

自己探究を深める方法としては、例えば

  1. 書き出す(ジャーナリング)
  2. 瞑想する(メディテーション)
  3. 対話する(ダイアログ)
  4. 相互フィードバック(ピアフィードバック)がある
  • 自分で自分の思考パターンに気づくのは、難しいことは前提として、自分なりの自分が気づきやすい方法を探して実践することは大事!(例:友達と話していると自分は気づきやすい)
タイトルとURLをコピーしました