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メンターのような人の個性(方向性)と自分の変化を感じている

(その人の)言ってることはすごい真っ当だし、みたいなのもあるし、わかるし、そうですねって思うんですけど、なんか勢いが強すぎて受け取れない感覚が、たぶん自分の中でしてたりとか。その人に何か教えてもらうときって、(状況として)より焦ってたりとか、不安やマイナスな状態から結構決断してることが多かったから、なんかそれがなくなった今、その人の選ぶ基準っていうか、うーん……、まあ圧が強すぎるって感じですか。
ちょっといくつかあるんですけど、とりあえず1つめは、メンターになるような人の中でも、奥深さのある人とある種ラッキーな縁があると、焦ってるときはバーンって叩いてくれて、で、焦ってないときは、なんかリラックスして待っててくれて……というように、幅広くいけるので、表現がすごく悪いんですけど「このガムいつまででも噛んでいられるんだな」みたいな、そういう人もいるんですけど、正直、結構限られていると思います。
あとやっぱり、これはちょっとこないだMさんと喋ったときにも、ある種出てきていたテーマな気はするんですけど、自分なりの解決方法とかメソドロジーとか、「こうすればうまくいく」みたいなものがあって、こないだの言葉でいうと、コーチングとカウンセリングあったときに「カウンセリングばっかりになっちゃう」みたいな話をしていたと思うんですけど。
やっぱり、メンターのようなポジションにいる人や支援職のような人は、よくあるケースとして、自分のメソドロジーをある種押し付けたいとか、「このメソドロジーを本当に使えば幸せになれるはず。(この幸せの定義も、伝えている側の人の自分なりの幸せの定義なわけですが)私が思う幸せな状態になれるはずなのに」とか。それをするのが私の仕事だから、みんながそういう状態になってないと、自分の方がなんかイライラするとか、自分が役に立ってる感じができないから嫌だみたいなのは、まああるわけですよね。
と一方で、その前に言ったような「あ、このガムいくらでも噛んでいられるな」という人たちもいて、その人たちは「走りたいときに走ったらいいし、休みたいときは休んだらいいし、垂直跳びでも、その場で飛んでも、まあいろいろあるよね」みたいな、幅があるわけです。
こういう幅がない人は、やっぱり「沈んでたら良くないじゃん。ちゃんと上がってこうよ」みたいなメッセージがすごい強い。で、そうすると、それも圧も強いし、ある種フィルターとして、その人から見ると、みんなに沈んでるようにしか見えなくて、「みんな沈んでるよ。気づいて上がってくのが大事だよ」っていうメッセージを活力に生きていたりとかするわけです。
たぶん今、Mさんがちょっとそこを抜けて、「いや、いろんな見方もさ、あるんじゃない?」みたいになってきたときに、その「これが大事じゃん!」という圧だけでこられてもしっくりこないみたいになるのは、まあ、あることかなって思います。
コミュニティの持っている目的と今の自分の状態が一致しているか

今、なんか共有しといた方がいいなって思ったことが、この間、そのコミュニティで話したときに、「感じすぎるとめっちゃしんどいですよね」みたいな、なんか話をしたら、みんな「??」みたいな感じで。だから、この感覚が伝わらない、伝わってない感じが一つと。
そのコミュニティのリーダーは、すごいなんか人のことをよく見てて、いつどのタイミングで何を言うかっていうのがすごい上手やなと思うんですけど、なんかそれを表面的に真似たときに、たぶんすごい攻撃的になる感じがしていて、それが結構しんどいというか、私に言われてるわけじゃないけど、その絡みがすごいなんか傷つくところがあるなというのも思いました。「わざわざ、傷つきあわなくてもいいのにな」みたいな感覚になるというか。それがたぶん言ってもわかんない、微妙なやつなんじゃないかなとかは思ってて。だから、リーダーだけに言って別に抜けるのも別にいいんですけど、なんだかな、みたいな。伝わりますか?これ。
「感じすぎると辛いですよね」という話をしたときに、さっきの話をそのままで捉えると、みんな「はてな?」ってなってたわけですよね。「え、感じることは素晴らしいことで、感じれば感じるほどいい方向に行くんだ」っていう世界のはずなのに、「感じるという方向にネガティブがある」とMさんは言っている。「この人、何言ってるかマジわかんない」みたいな。
まあ、私はそこにいたわけじゃないのでわからないんですけど、そういう反応だったとすると、ちょっと、それは幅が足りないかなという風に、素直に表現すると、私はその表現にどうしてもなっちゃいます。
「(自分の本心などを)感じることができていなくて辛い」「自分は本当は何が欲しいんだろうかとか、何が悲しいんだろうかとか、何が辛いんだろうとか、何が嬉しいんだろうとか感じ取れなくなっている」、ある種不感症になっていてから、ちゃんと自分の気持ちなどを感じ取ろうというトレーニングのところにいる人たちだったら、それは「感じ取る方がいいよね、感じ取るって素晴らしいよね」ってコミュニティにいたいですよね。
だけど実際問題、いろいろ感じ取りすぎて辛い人たちも、これは経験上率でいうと少ないですけど、でも、少なからずいます。最近で言うと「HSPでしんどいです」みたいな人も結構いると思うんですけど、それも「感じちゃうものが多いのでしんどい」みたいな人たちですよね。
なので、感じ取るのが素晴らしいだけではなく、感じ取りすぎるのはしんどいよねという話も、もちろんそれはそれであるあるわけで、あるかないかで言ったらあるので、だからMさんはその話をしたわけです。
そのとき、「あ、私は感じ取れなくて辛いけど、Mさんは今、感じ取りすぎて辛い方にいるんだね」といえる成熟さがあるコミュニティもあるとは思います。でも「感じるトレーニングに特化する場」であれば、それは非常に難しいみたいなことも、それはそれでどうしても起こります。
もしかしたら、そのコミュニティリーダーの方はそのトータルも分かってるんだけど、「うちのコミュニティは感じ取る方のトレーニングしてるから、みんなそりゃ、そういう反応になるし、もしかしたら今Mさんにとってはここは、必要な場所じゃないとか、いるタイミングじゃないのかもね」みたいなことは、それはそれであるかもしれません。
微妙に難しいのは、「感じ取れてない人が、『感じなきゃいけないのに、もう私、感じ取りすぎて辛いから蓋をするようにしてるんです』みたいな言い方を例えばしたときに、人から見ると『いやいや、だからそうじゃなくて、そうやって蓋をしちゃうから感じ取れてないんですよ』って言いたくなる」みたいなケースもあるので、パラドックスじゃないですけど、難しさ、微妙な匙加減はあるんですけど、でも今、Mさんがそういう感じは、正直、私からみるとあまりしないので、どちからかというと今いるコミュニティの目的とあっていないのかなと思います。

確かにあるかも。だからなんか、「閉じることが良くないことで、開くことがいいことだ」みたいな、薄っすら前提は多分あって、それが結構私的にしんどいのかなって今思いました。
これまで違和感なく過ごしていたコミュニティで自分の気持ちが伝わらない場面が増えた
- 今回のMさんのケースでいうと、大きく言うと「自分の本心を感じ取るのは大事」というコミュニティで、「感じすぎてつらい」という気持ちが上手く伝わらなかった可能性が高い
- そのコミュニティでは感じ取るのは大事でそれをトレーニングする場だから伝わらなかった可能性もある
- 今、自分がどういう位置にいるのかを探究してコミュニティとの距離を見直してもいいかも