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カウンセラーやセラピストとして仕事をするときに大事にしたい考え方は

またちょっと思いついたことを言うんですけど、なんか治療家というか、施術家というか、治したい欲求じゃないけど、「こっちにいった方が人は良くなるよな」みたいなのが、なんとなく多分自分の中にはあって。
でも、病院に勤めるのは違う気がして… なんて言うのかな、たぶん自分のやりたいことはできないな、とか思ったりとか。いろんなアプローチ方法を持っておきたいというか。1つの専門性だけで見るのは、無理というか、(人の心って)複雑だから、奥行きを持って見れるようになりたいなとは思ってるというか……みたいなことを思ってます。
今のMさんの興味関心領域は、私が興味関心を持って取り組んできた領域に近いので、私がいろいろ言えることや言いたいことが出てくるなと思います。
それでいうと、今のMさんの話を聞いてまず私が思ったのは、セラピストとかカウンセラーとか、いわゆる「治す側」は、自分もちゃんとスーパーバイザー(SV)がいて、自分もカウンセリングを受け続けるみたいなのがすごく大事だと思います。私は臨床心理士の資格を取ったわけではないんですけど、書籍などで勉強はしてきたときに、やっぱり臨床心理士の先生たちは、自分もちゃんとスーパーバイジングを受け続けてたりとかしてるんですよね。という話は、1つ、心の領域の対人支援を仕事にしていきたいと思ったときに大事な話だと思っています。
あとは、やっぱり「治したい」とか「良くしたい」って思うのは、こちら側(セラピスト側)の衝動の問題、ニーズの問題だということも、大切な話だと思います。ちょっとあんまり良い例えじゃないですけど、消防士が「火を消したい」って思ってたら、火事が必要になっちゃうよねみたいな構造はどうしてもあります。じゃあ「治ってほしい」とか「良くなってほしい」の「良い」とは、何を持ってして「良い」なのかも、突き詰めて考えていくと結構難しいわけです。
また、セラピストみたいな仕事は、究極的には、さまざまな出来事に対して、全てを受け入れて、全てを良しとして、全て受容できるようになる、みたいな面も持っています。
仮にそれを極めていったときに、どんな状態も「それはそれで良いですよね」「意味がある・価値があることで、ありですよね」という風に置くことになるので、何が起こるかといえば、自分が失業するわけですよね。だって、全部オッケーなのだとしたら相手を助ける必要もないし、その状態はその状態で素晴らしい、その状態から動いてもらう必要もないという風になったら、自分の仕事がこの世からなくなります、みたいなことも1つ、理屈というか究極の心理だと思うんですよね。
この話は話であるんですけど、一旦それを受け止めて受け入れた上で、それでも自分にとってやっぱり「良い」というものはあって。それは、もしかしたらエゴかもしれないけど、自分にとっての「良い」はあるんだよなと。そして、自分にとっての「良い」はこういうことで、「良くない状態の人」との関わりの中で「良くなってもらう」ってことを、自分は良いことだと思っている。そういうものを、ちゃんと自覚して選び取っていくというのは、私は対人支援のプロとしてはすごく大事なことかなと思います。
個人向けのセッションを仕事にしていくのであれば考えていきたいこと

確かに。なんだろうな、すごく前は、「人を癒したい」って思ってたんですけど、たぶん自分が癒されたことによって、なんか人に「こうしたい、ああしたい」っていうのが一旦なくなった感じがしてて。その上で、「どうなったら幸せなんだろう」じゃないけど、みたいなことは考えますね。
だから、一応セッションみたいなサービスを提供してるんですけど、それがなくなったことで、「私はどう関わっていきたいんだろう?」みたいな。どう相手に『私はこう関わっていきますよ』って伝えよう?みたいな。前はそれを言ってなかったんやな、好き勝手にやってたからな、と思って。それをどうしよう、どう関わりたいんやろう、みたいなことをすごく考えてます。
それは考え続けたらいいですよね、と思います。
ちょっと今の話を聞いていて、私が思い浮かんだことを言うと、自分で、この対人支援のクオリティみたいなところが、昔の自分と比べたときに、上がってきたなと自分で思うところはあるんです。
それこそ今日のMさんの最初の話じゃないですけど、クライアントさんが「次のエンジンが見つからなくて…」みたいな話をしているときに、昔は「いや、じゃあこれじゃないですか? これじゃないですか? 早く見つけた方がいいですよね!」みたいな、クライアントに対して自分のモードもそういうモードでした。でも今は、「まあ、丁寧に探究していったら見つかるんじゃないですか」という感じの方が、結局そのクライアントさんが安心して探せて、なんだったら前より早く本質的なものにたどり着かれて、「あ、私は、北に行きたいって分かりました」と言われて、「ああ、行ってらっしゃい」みたいに送り出すことが、昔より起こりやすいなっていうのは自覚あります。以前の自分と比較すると、ですけど。
今でもやっぱり、「絶対これは、この人は北に向かいたいんだよな」とか、「早く気づかないかな」とか、そういう風に思うことも全然あったりするんですけど、前より私のエゴで話すことが減ったことで、よりご本人が安心して探せて、ご本人が納得して自分で道を見つけて、ご本人が自然と動き出すみたいなパターンが、増えているように捉えています。
何が言いたかったかというと、Mさんが引き続き、個人向けのセッションみたいなことをプロとして提供していくみたいなときに、これもよく言う表現だと思うんですけど、「スペースを提供できるかどうか」みたいなことが大事になってくるのかなと思います。
自分として、「あ、私はクライアントさんをとにかく北に連れていく人です」みたいなやり方も、別にそれはそれでありだと思いますし、でも別に関わり方はそれだけじゃないので、「あなたが東西南北、もしくはトンネルを掘り出すのか、空に飛び出すのか分からないけど、どうしたらいいのかを見つけるスペースを提供できます」みたいな関わり方もそれはそれであるのかなと思います。

そうですね。そうですね…。なんか私は、安心してずっと生きられなくて。で、まあカウンセリングとか、旦那とか、まあいろんな人に助けてもらって、その「安心」を自分の中で育み中みたいな感じなんで。それを自分で育めれば、人って強いのかなって思ったりしてます。
クライアントが安心できる時間や空間を提供する
Mさんが、その周りの方や旦那さんなどから提供してもらってきたもの、その今おっしゃった「安心」というのものは、独力で築き上げるのは、たぶん難しいものなのだろうなと思います。関係性の中で、本人が「あ、私って安心していいんだ」って(主語は「私」になるんだけど)、でもそれは、やっぱり人と人との関係性の中で起こっていることだったりすると思います。
そしてこれは、セラピストとクライアントみたいな関係性においても、別に起こりうる話だと思うので、「なんかMさんと喋ってると、安心して自分の本音に向き合えるんですよね」みたいな、そういう時間・空間を提供するというのは、一つの方向性としてあるのかなと思います。

そうですね。私自身、その、なんだろう、マイナス……(自分の)存在がマイナスだと思っていたから、「何かやらないとここに立てない」とずっと思ってて。だから提供するときに、この「何かしてあげないと」っていうのが、だいぶ薄れたんですけど、すごくあって。なんか、「私がいるだけで(大丈夫)」みたいな感じの、それを高めれば、もっと私も楽に、相手もすごいいい感じになるのかなとか思っています。
だから、なんか気づくしかないよなとは、思ってるんですけど。なんか、私がフラットというか、私が私でいる状態で、なんか自然に渡せる、渡せてるものって何なんだろうみたいなのを、ちゃんと自覚したいな、というか。
これは今、私は河合隼雄先生の本の中身を思い出して喋ってみるんですけど、先生は、「カウンセラーは何もしないことに全力を尽くす」みたいなことをおっしゃっているんですね。著書の中に、つい、あれこれしたくなっちゃうんだけど、「何もしないことに全力を尽くす」っていう表現があって。
もうちょっと肯定的な表現というか、別の表現をすると、「信じるところに自分の身を置けるか」みたいなのは、セラピストとしてはあると思います。結局、信じてないとジタバタしちゃう、何とかしなきゃで動いてしまうということです。
親子関係でも、上司部下みたいな関係でもそうなんですけど、例えば、上司が部下を信じてないと、「大丈夫かな?」「あれやっとけよ」とか、「あの人に連絡したか?」とか、「これ使った方がいいぞ」とか、部下を信じてないから、あれこれ口出ししたり、バタバタするわけですよね。難しいんですよ、部下を信じて任せるというのは。
いろいろ心配になったり、「うまくいかなかったらどうしよう」「お客さんに迷惑かけないかな」という気持ちを自分の方で引き受けて、「信じる」ってところに賭けられるか。「いや、こいつはできるやつだ」と思って相手に任せられるか。
そこは、私は多分、対人支援みたいなお仕事させていただいてるときに、結構意識してます。もし、自分がジタバタしちゃうとしたら、「ジタバタしたくなっちゃう自分は何なのかな?」と、相手にあれこれ指示を出したりアドバイスをする前に、矢印をもう一回自分に向け直すみたいなのもあるし、という感じですかね。

「信じる」ね、て思って。なんかよく聞くけどさ、結構むずいよな、って思って。なんか、もう、ざわざわざわざわしちゃうよね、
言葉としてはね、非常にシンプルですけど、まあ難しいですよね。「信じる」も、自分自身が何を信じているか、ということがあるし。
私の場合は、やっぱり成功体験みたいなものもあって、それで信じられているところもあると感じます。過去に、コーチングとかカウンセリングみたいなのをセッションやってきた人たちが、まあ良くなった、大変な時期を乗り越えて良い方向に変わったみたいなものが、自分の経験値としてあるので、初めてお会いする方でも、「きっとこの人も大丈夫なんだろう」と思えるみたいなことです。経験値は、1つそれはそれで、少なくとも僕はやっぱり採用してるなというのは思います。
自分に任せてくださいとお客さんにいえる自信とは?

私が結構疑問に思ってることというか、施術家さん?、整体師さんとかいたときに、すごいセールスで、ごり押ししてくる人とかもいるじゃないですか。私はそこで、なんであれができるんだろう?というか、(この世にはいろいろなサービスがあって)良いものは他にたくさんあって、(あなたのサービスでは)それで治らない可能性とかもあるのに、どうしてそんなセールスというか、できるんだろう?って疑問で。
その、なんだろうな… こう、より良い、いいものって、多分この世界は広いから、今やってることよりも、なんかいいことはあるんじゃないかなみたいなのがずっとあって。それで一生大丈夫なのかな、その外にじゃないけど、いいものがあるんじゃないかなって思ったときに、こう信じられるのかなと思っちゃいます。
分かります。まあ、そのごり押ししてくる人は、それはそれで問題があるというか、まあ未熟さとかもあると思うんですけど、一旦ちょっと置いといて。
自分が、クライアントを支援するというときに、私も支援先は、個人もあれば法人・組織もあって、いろいろなケースがあるんですけど、「どうぞ私に頼んでください」と言える自信はどこからくるの?という話はあるはずなんですよね。だって、もっといいコンサルタントやコーチ、カウンセラーもいるかもしれないときに、「どうぞ私に頼んでください」と言えるのは、どれだけ傲慢なの?という話は、まあ、常にありますよね。
私の考えていることは、2つあります。1つは、「頼んでいただいたからには、少なくとも私は自分の全力を尽くす覚悟はあります」ということです。自分のできること以上のことは、約束はもちろんできないんですけど、これは大事に思っています
もう1つは、自分が頼む側になったときもそうなんですけど、じゃあ、世界中のセラピストデータベースを構築して、AIなどで計算させて、「あなたに最適の人はこの人!」と出せるのか?っていったら、恐らく出せないんですよね。どこまでいっても、タイミングやご縁みたいな領域が絶対あるんですよね
自分が頼むときだって、もちろんそうなので。ありとあらゆる買い物は、ある程度のご縁の中で成り立ってるわけなので、「まあ、ご縁なんだな」という考え方も持っています。この人と関わらせていただくというのは、そのご縁だから、ご縁を大事にしましょうみたいな。私は、結構その発想はあると思います。

なるほどです。
ただ、やっぱり、そのさっきのごり押ししてくる施術家さんの話もありましたが、商売的にいったら、「リピートしてくれた方がいい」「自分の安定収入になる」ので、自分がクライアントに続けてほしいみたいな気持ちも、もちろんあると思います。でも、クライアントを囲い込むという発想はしないようにというのは、私の中は大事に持っています。
いつだって辞めたらいいし、「ちょっと別の人でやってみたいと思って」って言われたときに、「どうぞどうぞ。それはまた新しいご縁を大事にしてください」という風に言えるようになってる必要があると、私は思っています。要は、現実的にプロとして、クライアント1人への経済的な依存度が低いというのも、すごい大事ということです。

確かに。
私の場合、法人向けビジネスや個人ビジネスなど、いろいろやっていて、例えば10社くらいお付き合いがあると、1社~2社の仕事が終わっても、別に経済的には大丈夫なんですよね。また次、新しい方たちがそのスペースに入ってきてくださるかなみたいな感じになります。
でも、お付き合いしている会社が例えば2社しかないと、1社から「ちょっともう石川さんいいです」と言われたら、「いやいやいや、あの絶対に僕の方がいい仕事しますから!」みたいな、「新しく営業してきたやつ、詐欺だと思います!」みたいな、自分の防衛のためにそういう反応をどうしてもしたくなってしまうはずなので。結構、現実的に、経済的な依存度を、下げておくというのは、大事なことかと思います。

確かになぁ。いや、そうですね。いや、なんか、その経験があるというか、カツカツな状態でビジネスして、なんか回らなくなって、もう私もお客さんも不幸にしちゃうなって思って辞めた経験があるから。まあ、それは気をつけてはいるなとか思ったりもしました。
対人支援(セラピストやコーチなど)のプロとしてしてやっていくときに大事なことは?
- どういう姿勢で対人支援を行うのかでいうと、セラピストでもコーチでもカウンセラーでも「信じる」「信じている」は1つ大事な姿勢かも
- お客さんの問題だからと、他責的になりすぎず自分を省みて、自分に自覚的であることも大事
- プロとして仕事をしていくときにはお客さん1人への経済的な依存度を下げておくことも非常に大事な観点
⇒依存度が高いと選択肢がなくなる