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「教育」という領域を細かく観てみると

最近、関心があるなという領域が、自己理解を始める前に付き合っていた人に「なんでそんな、どうやって育ったら、そんなあなたができるの」みたいな質問をしてたことがあったんですけど、なんか自分と向き合う中で、やっぱりこの家族との関係やどう育ってきたかって、今にすごい影響がある……もう大部分を占めているなと思って、そこにはすごい関心があります。
私は、人がどう育つかみたいなところにすごい関心があるんやなぁってことぐらいはわかったりするけど、いろいろなところで教育って発生しているじゃないですか。全部の教育関係に興味があるかな…?教育……とか、人と関わる……………ことさえできれば、たぶんその育つみたいなのは、入ってくるから……うーん、うーんとか考えてます。
なるほど。大きく言うと、私も教育業界みたいなところに身を置いていて、周りにも、同業者の人たちがいっぱいいるので、「教育」は、結構解像度の高い領域です。
例えば一つ、単純に、コーチングとカウンセリングがあったときに、ちょっと雑な分け方になっちゃうんですけど、コーチングは元気な人をより元気にするとして、カウンセリングはちょっと元気がなくなってる人を元気なところまで戻すみたいなことだと仮にしたときに、それもやっていくと、「あ、やっぱり、カウンセリングしてるときの自分の方が活き活きするな」という人と、「コーチングしてるときの自分の方が活き活きするな」という人は、それぞれいます。
今の並びで言うと、ティーチングと言われる領域もあって、当然先生(ティーチャー)とかもいるわけですけど、「講演活動とか教えるが好きで、コンサルティングも近いかもしれないけど、でもどちらかというと、ティーチングの引き出すよりは教えるみたいなことやってる方が面白いな」「心は、こうなってて。こうなってて、親の関係ってこうなってて……だからこうしたらいいんですよ」と教えてる方が自分は向いてるな」みたいな人もいます。
1対1の関係の方が楽しめる人もいれば、1対Nとか、グループやコミュニティなどに向けての方が楽しい人もいるし、講演活動だと100人に向けてみたいなこともありますけど、大人数に向けての方がテンション上がる人もいるし…みたいな人数の違いもあります。
他にも、対象として、大人向けの方が好きだなとか、子ども向けの方が好きだなみたいな切り口もあります。子どもと言っても小学生ぐらいがちょうどいいんだよなとか、もっと前の小さい子がいいんだよなとか、いや、中学生ぐらいの言語力や思考力が身についてるぐらいの人の方が関わりがいがあるんだよなとか。
これは本当に人によるんですけど、みたいな切り口を持ちながら、「自分はどうなんだろう?」とやっていくと、「自分はやっぱり、例えばカウンセリングよりはコーチングが好きで、子ども向けよりは大人と話してた方が楽しんだな」とか、より具体的に自然と出てきたりするかなと思います。
自分にはカウンセリングが必要だと受けとめるのは非常に難しい

ちょっとさっきの話とは、全然違うんですけど、思ったこと言っていいですか?
私は、結構いろいろなコーチング、カウンセリング、コンサルティングとか受けましたけど、なんか…カウンセリングが必要だったのに、コーチングばかり受けてた人みたいな感じで…なんていうのかな、その認めたく、たぶんなかったから、カウンセリングなんて、病んでいる人がやるやつじゃんみたいな感じでやったから、(カウンセリングを受けた方がいいのに受けられなかった)。
(私みたいに)そのなんか間違った領域にいく人って、多いんじゃないかなって思って、なんかそれが気になるというか気に…気に…気になりますね。
今の話はね、すごいしみじみとする話なんですけど、私もその個人向けのセッションとか、いわゆるちょっとセラピーのようなものは、やらせてもらってきてるんですけど、まずMさんが言ったように「私に必要なのはそれじゃない」みたいな、顕在意識における否定って、全然あったりとかするじゃないですか。
結局、どこかで向き合わざるを得ないっていうことに気づき、受け入れ、取り組むっていうタイミングがあると思うんですけど、これはやっぱり、外からは非常にアプローチしづらいことだなと思います。
もし仮に、Mさんがチャート表みたいなのを開発したとするじゃないですか。で、イエス・ノーの分岐があって、この分岐にいったら「あなたに必要なのはコーチングじゃなくてカウンセリングなんです」みたいな、すごい分かりやすい表を仮に作ったとします。
その表で、「あ、自分に必要なのカウンセリングなんだ」と辿り着いた人が、何するかというと、そのチャート表を捨てると思うんですよ。カウンセリングに行こうとはならないんです。「私に必要なのがカウンセリングなわけないじゃん。このチャートを作った人なんか分かってないんだ」とするんです。

確かにね。
だからこれは非常に難しくて。その人が「私にはカウンセリングが必要かもしれない」となるかは、もう本当に正直にご縁やタイミングみたいなことだなと思います。
あとは、Mさんが仮に、対人支援を受ける側というよりは、プロとして提供する側みたいなことを今後やってくとしたら、そのときは、私は「コーチングだ」「カウンセリングだ」という分けをせずに、今やっちゃってるところがあるんですけど、そういうやり方もあるかなと思います。
話してる中で突然「いや、あなたに必要なのはカウンセリングで、あなたの過去の親子関係におけるトラウマを解消しないと、進まないと思いますよ」みたいなことをわざわざ言う必要なくて。「ああそっか、お父さんとそういうことがあったんですね」と言っていると、「いや、なんかいろいろトラウマを思い出してきました…」とクライアントが喋りだして、自然とカウンセリングに誓うものが始まってくいったりとかもしたりするので。別に、はっきりとラベリングをしないといけないわけではないかなとそれはそれで思っています。

うーん、なるほどですね。
教育系や対人支援と呼ばれる領域の解像度を高める
- 教育系や対人支援と呼ばれる領域は、コーチング / カウンセリング /ティーチング / コンサルティングで分けたり、大人向け /子ども向けなどで分けることもできる
⇒これらの違いを意識しながらより自分の興味関心の高いものを探究してみる - カウンセリングが必要だと思われる人でも「あなたに必要なのはカウンセリングです!」ということを伝えること(本人が受けとめること)は非常に難しい
⇒明確に線引きしないといけないわけでもない