ちょっとただ自分の話を聞いてほしい|ギブアンドテイクや等価交換ではない人間関係を育む

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今回の探究テーマ:コンサルタント マネージャー 30代 男性 Tさん

人に助けを求めるのが苦手かもしれない。ただ話を聞いてほしい感覚はあるけど上手くできない。また、もし自分の話を聞いてもらったら、相手の話も聞いてあげたい。自分の話だけ聞いてもらうとなると、居心地が悪いように感じます。

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自分は誰に(自分にとってどういう存在に)話を聞いてほしいのか

前回の話の中で、孤独感を感じるときに大事にしたいことを2つご紹介したところ…

1.孤独をちゃんと感じる
2.孤独感を表現して誰かに聞いてもらう

2つめの人に助けを求めるみたいなところは、苦手かもしれないですね。

 

結局その感覚を、喋れる人がいない、話せる人がいないなっていうのは結構感じていて…ただ聞いてほしいだけという感覚はすごいあるんですけど、それができる人がいないというのはありますね。

 

かかりつけと言うんですか、ずっとお世話になっているカウンセラーの方とかは、定期的に行って、わっーと話してというのはあるんですけど、それ以外に細かいところをこう、細かいタイミングで言える人というのは周りにいないなぁというのは思いましたね。

今の流れでちょっと聞きたいことがあって、友だち、家族、恋人、同僚…など、人間関係の種類はいくつかあり、いろいろなラベルの仕方がありますけど、Tさんがその日々の感じる心の動きとか寂しさとか孤独感を1番共有できそうな、もしくはしたいと思うのはどの種類が近い感じがしますか。

誰かに話を聞いてもらいたいなぁ…の、「誰か」はどんな人なのか。解像度をあげて、探究してみる。

……友だちが近いかなぁ……うーん。

 

なんか家族は……家族だとちょっと重いというか。同僚は、まぁいろいろ立場とか見え方とかがあるからあんまり……特に下の人とかにはあんまり言いにくいかな。特にうちの会社の場合そういう弱音を吐くこと自体、結構なんかどう見られていると思うみたいなことを聞かれて、どう見られていると思うもくそもない、辛いんだよ、馬鹿やろうみたいな、そこを評価とかにいれるなよという感じなんですけど、そういう目線の人たちしかいないから、それはもう隠すしかないみたいな感じはあります。

 

っていったときに、横の繋がりっていうんですかね。本当に自分とその人という繋がりの人にであれば言いたいというのはありますかね。

 

自分だけが話を聞いてもらうのは…というのももちろんあるんだけど、相手の悩みとか考えとかそういうのも聞きたいなっていうのは思いますね。自分がこうなんだというのを話し、それはそれで聞いてもらった上で、実は自分もこうこうこうでね…みたいな話をして、それはなんか傷を舐めあうわけじゃなく、そうやってお互いしんどいこともあるけど、頑張っていこうぜみたいな、なんかそうやってしんどい道を、隣に立って支えながら歩いていくみたいなのが、個人的には好きというか、なんか求めている気はしますね。

等価交換のではない人間関係を育む

今の話で、私の考えみたいなのがあって、ちょっとそれを聞いていただいて、聞いてどう思うかをまたお聞きしたいなと思います。

いったん私の考えを話すと、友だちに例えば自分の寂しい気持ちというのを話をするみたいなのがあったときに、結構僕が大事だと思っているのがただ話す、そして、ただ聞いてもらう。そのある種、一方的にこちらが頼ったという状態をよしとするというのをすごい大事だなと思っています。

もちろん例えばAさんに話を聞いてもらったら、1年後Aさんに悩ましいタイミングが出てきて、今度はAさんの話を聞いてあげる番がきたということが起こるかもしれないんですけど、もしかしたら一生のうちにそういう機会は起こらないかもしれなくて、それでもいいよっていう関係性はすごい大事だなと思っています。

ギブアンドテイクで、等分になっていなきゃいけないとなっていると、いつも聞いてもらっていてばかりで申し訳ないなとか、聞いてあげてばかりで何か俺にも返してくれよみたいな、ギブアンドテイクがちゃんと等分になっていないといけないみたいな関係性にどうしてもなっちゃうと思います。

でも、ある意味 本当に安心できる関係って、死ぬまでにこれが等分になっていなくてもいいよねと思っているときに、すごい安心感があるのかなぁと思います。

まずは自分の中に「等分にしないと」という気持ちがないか、探究してみる。

これは私はすごいありがたいなと、恵まれていたなと思うんですけど、社会人になったときに、一時期、学生時代の友だちで、仕事の愚痴とか、私がたまったストレスを聞く上手が3人くらいいました。

彼らは別に仕事でストレスもそんなにたまってもいないし、愚痴を私にいうことも特にないんですけど、私は3ヶ月に1回くらいたまったストレスを「ねぇ ちょっと聞いてよ」と言って、今日は例の愚痴を聞いてもらう日みたいな感じで、ただ一方的に聞いてもらうだけだったんですけど聞いてくれていたんですよね。

今でも普通に忘年会など飲むので会うこととかも全然あって友だちなんですけど、もちろん、ちょっとわからないです。本当は彼らも、ほんとおまえの愚痴に付き合わされて大変だったよって言うかもしれません。でも、こっちばかり寄り掛かられて嫌だったよと思っているかというと、友だちだからそりゃ聞くときは聞くよというトーンでいてくれたなという感じがあります。

もちろん、聞いてもらったから、今度相手が困ったときには、お返しする機会があったら、絶対お返しするぞと思っていてそれは全然いいと思うんですけど、仮にすぐ等分に等価交換されないと心地悪いという風に思っているとしたら、結構人間関係のバリエーションは限られてしまうし、ただ聞いてほしいという風にやっぱり言いづらくなるはずなんですよね。

あなたも聞かせてくれるんだったら、私も言いますとか、私がきいてもらったからにはあなたの話も必ず聞かせてもらいますが成り立たないといけなくなっちゃうので、「なんか寂しいなぁ、孤独だなぁ」があったときに、「ただ聞いてほしい、ただ一緒にいてほしい」それはもう自分のある種我がままなんだけどそれに付き合ってほしいということを、言える、言ってみるという関係の作り方はチャレンジしてみてもいいかもなと思いました。

それはそうですね…すぐすぐのギブアンドテイクを求めているわけではないんですけど、でも自分から、確かに自分から、いやぁ話聞いてよって言ったことはあんまりないかもしれないですね。

 

それは相手にすごい申し訳ないなぁみたいなことを思ってしまうので言っていないというのもあって、なんかそれはこっちから言ってみてもいいのかなって思いましたね。

ギブアンドテイクや等価交換ではない人間関係を育むために大事なことは

  • 等価交換やギブアンドテイクではなくて一方的に話を聞いてもらえるような関係の人間関係も持てていることはとても大事
    ⇒まずは自分の中に「等分にしないと」という気持ちがないか、探究してみる
  • ギブアンドテイクではない人間関係を育む第一歩はまずは自分が変わること
    ⇒一方的にただ話を聞いてほしい!と誰かに声をかけてみる
    ⇒返ってこなくてもOKという気持ちで人の話を聞いてみる
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