意見を飲みこんでいて相手に合わせていたばかりの自分が本音を伝えあえるパートナーと出会えました

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今回の探究テーマ:営業職 30代 男性 Tさん

「意見や価値観が違う人とぶつかりそうになると「距離を取る」or「我慢する」の2択になってしまう」という記事などでもお話したように、自分はどちらかというと意見を飲みこみがちでしたが、最近は変化を感じています。また自分が変化するにつれて、以前の自分のような振る舞いをしている人をみると、自分のことは棚に上げてちょっとイラッとしていることに気づきました。

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あらためて現実面や精神面で感じている変化は?

前回の話より、このままではこの状態を繰り返しそうだな、そう思って変化して、取り組むことを変えていこうとやってきたのもあって、今改めてTさん自身の中で何が変わったなとか、前とこういう違いが今の自分にはあるな、みたいなのはどういう違いがあるなと思いますか?

どういう違いか、いっぱい違うのでちょっと難しいなと思いつつなんですけども。やっぱりこう、その自分の実家って言うんですかね、実家への安心感みたいなのはすごく取り戻せたというか、「あったんだな」と感じられたので、なんかその土台が安定したというか、しっかりしたみたいな感覚っていうのはすごく違うなと思いますね。

まあ、それがベースで、あとは、そこを土台にしながら色々と変わっているっていう感じですかね。ちょっとあんまり求められている答えじゃないような気もするんですけど、今出てくるのはそんな感じですかね。

全然細かくても順番とかがしっかりしてなくてもいいんですけど、色々変わったなっていうのは、なんか「これもあるし、これもあるし」みたいなの、なにかありますか?

そうですね。なんか「生きてる意味あるのかな」みたいなのは動画でも撮ったと思うんですけど、

友人とかとも話していて共感を得たんですけども、病んでるとかではなくて、生き続ける意味を感じなくなってきますね。

なんかこう、面白みというか意義を感じないみたいなのがあったんですけど、ま、別に意義感じなくてもいいなっていう感覚が今あって。仕事で何かを達成したいとか、社会にこういう貢献をしたいとかっていうのは、ま、あった方がいいんですけど、別に今そんなに強くなくて。でもそれはそれでいいなっていう感覚があって。

そのやっぱり近い距離感の人と安心した気持ちで一緒に過ごせるとか、なんかこう、一緒にご飯を食べるとか飲みに行くとか出かけるとか、そういう日々を過ごせるだけでもう十分生きている意味というか、充実感は得られるっていう感覚が今あるので。それは別に元々いた友人もそうですし、今、付き合っている人もそうですし、状況としては大きくは変わらないんだけど、なんか捉え方が、その実家への安心感ができたからなのか分からないですけれども、そういう心の充満みたいな違いがあるなっていうのが1つですかね。

自分の意見や気持ちを飲みこみがちだったTさんですが…

あとは昔ほど、その自分の感情を処理できない人とか、なんですかね、当時付き合っていた人への不満とか怒りが多分まだ残っていたからと思うんですけども。なんかそこもなぜかセットで解消されたのかなんか、ちょっと僕の中にこうピキッとくるような行動する人に対する攻撃的な気持ちとか、なんか拒絶反応みたいなのはなくなってきたような感覚がありますかね。

面白いなと思うのが、その「自分で処理しろよ」って思ってた頃の方が、近くにいた人とか、現れた人が、どちらかっていうとヒステリックな人だったりとかしていて。で、今、お互いの感情をお互いに共有しながら話し合うとかも大事だよねとか、それで関係が良くなったりとか深まったりとかするよねと思っている今の方が、穏やかにそういった話ができる人が現れてて、みたいなのはなんか符号としてすごい面白いなっていうのは、それはそれで思いました。

あと、すごく覚えているのが、冷蔵庫事件とかですね。

当時のお付き合いしている彼女に対して、「それは僕は違うと思う」とか、「それはそういう言い方やめてほしい」とか、「それはやらないでほしい」とか、そういう話はせずに飲み込んでたというのが1つパターンとしてあったと思うんですけど。その辺は今、自分の中で変化感じますか?どうですか?

そうですね、なんか、完全に全部をこうはっきり、言うということができているわけではないと思いますけれども、結構な部分を言えるようになった感覚はありますね。その今の付き合っている人という点で言うと、向こうがすごく上手に言ってくれるので、「言っていいんだ」っていう安心感を持たせてもらっているっていう感覚もあります。石川さんとの2~3年プラス、その今のお相手のそういう持ち出し方の上手さみたいなところに助けられたなという感じですけども。昔とはなんか違いはあるなというのはあります。

本当にパートナーの方のありようだったり、スキルもあるかもしれないし、その辺もあってということなんですね。お互いの関係性としてはなんか、それぞれぶつける、飲み込むとかじゃなくて、ちゃんと二人の間において取り扱うことができているみたいな感じで過ごせているのかなというのを聞いて思いました。

あと今ちょっと思ったんですけど。飲み込まずに打ち明けるということを、石川さんとの会で僕は苦手なんだと認知して。で、そういうことができることの、なんですかね、重要さとか。そのやってもらったことへのこうありがたさみたいなのも感じられるようになっていたので、今のお相手がやってくれることに対してすごい僕が価値を感じていて、前向きの反応するので。向こうもさらに話してくれるみたいなのも多分あるんだろうなっていう気はしました。

今思い出しましたけど、ちょっとなんかトレーニングだと言って、Tさんの場合、先輩や目上の人に対して無条件に従うみたいな処理パターンが結構強かったから、じゃあ、この後お昼ご飯どうしようかみたいなときに、分かりやすく言うと、最初は「石川さんの食べたいもの何でも行きます」みたいな感じでした。「じゃ、じゃあラーメン行く?」「はい、ラーメン大好きっす」みたいな。

そこがあったので、一時期、私があえて「いや、これTさん決めてください」「Tさんが行きたいところに、私も基本行きます。Tさんは今何食べたいのかよく感じてください」みたいなことに取り組んでみたいんですよね。Tさんは、最初戸惑っていて、「え、面倒くさい。上の人が決めてくれて従ってった方が楽なんだけどな」みたいな。

そして、Tさんが「じゃあパスタがいいです」と言ってくれて。で、私も「あ、いいじゃん、パスタ。僕もパスタ食べたいです」とか言って行けるときもあるけど、Tさんが、「じゃあアジア料理行きたいです」とか言ったら「俺アジア好きじゃないんだよね」みたいなやりとりもあったりして。「聞いといて反論するのかい」みたいな。

確かにそのトレーニングを一時期やってた記憶が蘇ってきました。やってましたね。そんなことね。

そうですね。今の話聞いてすごくなんか思い出したのが、最近、仲のいい友人と、先輩というか目上の人と3人でご飯に行ったんですけど、その仲のいい友人が「次どこ行く?」みたいになったときに、「あ、もう先輩の行きたいとこで、はい、ついてきます」みたいな、その過去の自分と同じことをしていって。

僕はそれに対して(過去の自分のことは忘れて)「いや、お前も意見出すよ」ってすごく思っちゃったんですよね。それはやっぱりまだ変わろうとしている途中なんだろうなと思うんですけど、やっぱり変わろうとしているからこそ、そこへの嫌悪感があったりして。そんなことがちょうど1~2週間前に起こったので。

過去の自分を見ているような振る舞いの友人にイラっとしてしまった話

なんか過去の自分を棚に上げて、何を自分は友人にイついているんだろうと、今ちょっと恥ずかしくなったというか申し訳なくなったなっていう、そんな感じが。そんなことを思い出しました。

今のはちょっと補足をさせていただくとですね。

自分が変化してきて、変化の途上にあると、前の自分を見たときに腹が立つと。で、変化がちゃんと完了して抜け切ると、どちらかというと、優しさの目で見られて、そういう時期もあるよねみたいになりますよねって話をしてたんですけども。

もうちょっと丁寧に説明をすると、例えば今の話で言うと、ちゃんと先輩や上司に対してでも言いたいことはちゃんと言うみたいなことを、前は言わずに「犠牲者の自分でいい」となってたのが、「それじゃ良くないな」となる。

やっぱりちゃんと上司とも、最終決定は上司がするかもしれないけども、「一旦僕はこう思うんですけど」をちゃんと伝える方がいい関係になるよなと思って、努力しますみたいな変化のときにそれをやっていない人を見ると、「お前もやれよ」みたいな気持ちが出てくるんですね。「俺も頑張ってやっているんだからお前もちゃんと言うようにしろよ」みたいな気持ちはすごい強く出てくる。

それは当然で、自分もその前の自分に戻らないように、新しい自分になるように、頑張ってる最中なので。やってない人がいるとイつくみたいなことも、人間としてごく自然にあるなと思います。

でもちゃんとそれが自分として自然とできる、身についてくるみたいになってくると、前ほど以前の自分のような振る舞いしてる人がいてもイラつかなくなります。「まあ分かるよ。俺もあの頃は言えなかったもん」みたいな。「ちょっと階段あるかもしれないけど頑張ってね」みたいな目線で、思えたりします。

そうですね、はい。自分だなと思いながら、はい。そのエピソードを振り返ります。

シンクロニシティって本が出てますけど、なぜかこう符号する出来事が起こるっていうね。面白いんですけどね。まあ1つは多分合理的に言うと、自分がアンテナを貼ってるものほどキャッチしやすいので、出来事として前だったら気づいてないとかスルーしてるものが、アンテナが立っているからこそ気になるっていう…てんそれもシンクロニシティの正体の1つかもしれないですけど、でもそうやって出来事が起こることは、面白いですよね。

Tさんが感じている変化

  • 実家を安心できる場所と思えるようになった
  • それによって土台がしっかりした感じがする
  • 「生きている意味あるのかな?」とかも思わなくなった
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