自分のことをつい後回しにして面倒事や嫌なことを引き受けてしまう

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今回の探究テーマ:広報・総務 30代 女性 Tさん

例えば、みんなで飲みに行ってお会計の場面で「いいよいいよ、大丈夫だよ」とか言って、「こないだ奢ってもらったから、私、全部出すよ!」とかしがちです。

職場でいうと、私は誰かがやり残したこととかをやることが多くて、例えば、いつもシュレッダーのゴミを捨てるのは自分。いつもコピー機の紙ないのに気づいて、「もー!」って言って入れるの自分。そうやって面倒事や嫌なことを自ら引き受けてしまいます。

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自分を優先できていないのはどのようなときか?

これまでのお付き合いの中から、Tさんの場合、自分のことを後回しにするという癖が非常に強いなと感じています。

……(深く頷く)

自分のことをちゃんと優先できるようになったら、ここまでの話で言っていたような、独立してお金を得るとか、それも例えば、時給で働いた時間分だけもらうのではなくて、もらえるときには 大金があっという間に手に入るというケースだって、自分の中で許可するみたいなことも、それはそれで取り組んでいける気がするんですけど、Tさんの場合は、それに取り組もうとすると、何か忙しくなっちゃって取り組む時間がないというパターンを、繰り返しているのを私は知っているので、その話の方が根が深いし厄介だなと思ったりしています。

そうですね…「自分を優先する」は仰るとおり、人生の課題・目標だなぁというのは、近年理解をしていて、石川さんとのご縁はそこそこ長いので、初期にお会いしたときよりも、今の方が結構当時から比べたら、自分を優先にした選択やチョイスはできてきていると思っています。

 

ただ、やっぱり自分をついうっかり後回しにするっていうのは、自分でも気づくくらいあるので、そこはまだまだだなぁと思っているのと。

 

忙しいは、割と仰るとおりで、何か「ああしたい」「こうしたい」とか思うと、舞い込むみたいなのがあるので、これも何か試されているのかもしれないですね。

それは、試されてますね。

(笑)

「自分のことを優先する」というのは、すごい抽象度の高い話で、実際は、場面場面でさらに細かく観ていくこともできます。

さまざまな場面があるわけですが、例えば、パートナーとの関係においては自分を優先できるようになった、友だちとの関係では自分を優先することも選べるようになった、でもまだ 仕事となると自分を優先できないとか、親子関係となると自分を優先できないとか、お金に関するとついつい譲ってしまうとか、1つクリアしても、他の場面ではまだ「自分を優先できない」が残っていたりします。

自分を優先するという大きなキーワードから、1個ずつ取り組んでいって、小項目ができてきて、前よりできるようになってきたなというのは、確かにそうだと思います。でも、やっぱり残っているものがあるみたいなこともあって、今回はそこを探究するタイミングなのかもしれません。

自己探究の基本は、解像度をあげること。「自分を優先することができていないな」と思ったら、誰とどんな場面で苦手としているのか、どんなときは優先するを選びやすいのかなど、具体的な場面を想像してみる。

Tさんが自分を優先するのが苦手な場面を細かく観てみると…

それでいうと 今 Tさんは、〇〇の場面では、まだまだ自分を優先できていないなと、自覚していたり、思い当たるものがありますか。

仕事は自分後回しですね。

 

他は…お金に関わるところ、例えば、お支払いも自分後回しです。何かみんなで飲みに行こうとか、ここはいいよとか、何かそういうときに、「いいよいいよ、大丈夫だよ」とか言って、「こないだ奢ってもらったから、いいよ、私、全部出すよ!」とかしがち……。割り切れないとかいうとき、自分が全部立て替えればいいやって、その分思ったりしがち……。

 

逆にまぁプライベートは、お友だちや身近な人たちのときに、時間を自分は8時と言われたけど、9時がいいなとかっていうときに言えなかったんですが、言えるようになったり、行きたくないなって思う飲み会やイベントごとには、行かないという選択を取れるようになったのは進化だと思いました。

仕事は何で自分を優先できないんですか。

なんでできないんですかね。

 

「それ、おまえの仕事だろ」とか、「そんなの自分でやれよ」みたいな内なる声が出てきます。

仮に守備範囲があったとして、そこをやっておけばいいんだけど、内なる声があるが故に、その守備範囲を超えたこのあたりの範囲も自分の仕事だろう、このぐらい自分でやっておけよという風に広げていってしまっている感じがするということですね。

そうですね。

それを狭めるとか、広げないでいる。何かあれもやった方がいいなと気づいたりしても、誰かやるだろうとか、あのへんもいろいろやることあるなと思ったとしても、自分の仕事じゃないしとか。

そうすると、Tさんの中では何が起こるんですか。

起こるとかすっ飛ばして、もうそういうのを発見したら、身体が出てますね。

ちょっと身体ぎゅっと止めてみてほしいんですよね、イメージで。手を出したら駄目だ、出さないと、脳内シミュレーションで1回してみてほしいのですが、どうでしょう。

ああ…今 思ったのは、それをやらないと自分が傷つく感じを受けました。その背景は、今 パッと上手く言葉にできなくて…すみません。

 
思ったのは2つあって、ひとつは、誰かがやってくれるじゃんという仕事が、私のところにいつもくるのですが、それを誰かにさせるっていうことは、結局同じ思いを他の人にさせることになるので、それが嫌だなって思っています。

 

だから私は誰かがやり残したこととかを、けつ拭いたりとかをしているんだよなぁと。例えば、すごい小さいことでいうと、いつもシュレッダーのゴミを捨てるのは自分。いつもコピー機の紙ないのに気づいて、「もー!」って言って入れるの自分。

 

それは足りないから、次の人が同じ思いをしてほしくないからなって、身体が動いちゃうんですけど、なので、1つめは「なんでこれやってくれないの」「なんで自分がなくなったときにやらないんだろう」という思いや、こうやってまた私のタスクが増えるんだよという嫌な思いを他の人にもさせたくないというのが1つ。

 

2つめは、これちょっとまだ整理できてないんで、上手く言えるかわからないんですけど、実はそれをやって、何かやるメリットは自分の中にはあるんじゃないかなって気づいて、ありがとうって言われたいっていうのもひとつだし、仕事できないのをそれやることで、カバーできるんじゃないかって、って思っている自分がなんかいる気がしました。

今の話を私なりに意訳をすると、特に前半の話は、「私が我慢すれば済むことだから」という思考パターンのように感じました。私さえ我慢すれば、私だけが我慢すれば、全体が上手くいくんだから、私は犠牲者でOK、私は被害者でOKというような考え方です。

もう1つの、これをやっておけば、ありがとうと言われるとか、仕事できないのをカバーできるもあるかぁとのところも探究してみたいキーボードですが、ひとまず、「私が我慢すれば全体が上手くいくんだから」「私さえ我慢しておけばいいよね」と、Tさんは思っているんじゃないですかと言われたら、どうですか。

そうなんですよ。

 
そこは自分でも理解していて、かつ、その要素は結構昔からありますね。

選択肢が他にない状態に陥っていないか

前回お話した、大枠の話に戻るんですけど、自分に制限がかかっているような思い込みって、要はどういう状態かというと、他に選択肢がないように思っている状態です。

本当は世の中のことは、だいたいいろいろな選択肢があって、私たちはそのうちの1個を選んでいるだけにすぎません。どのような選択肢でも、メリット・デメリットみたいなものはそれぞれあって、これしか選択肢がないというケースは本当に稀だと思います。

そしてそれでいったとき、Tさんは身体が反応しちゃうくらいなので、これしか選択肢がないと思っているんだなと思ったのがひとつです。

いろいろ選択肢があって、例えば、あえて話を変えるんですけど、Tさんにお子さんがいて子育てをしているとします。

子どもは、ご飯を食べ始めました。お箸やスプーンを覚え始めましたぐらいの年齢ですというときに、この間までは自分で食べれなかったので、全部あーんって食べさせてあげていたので、全部あーんって食べさせてあげ続けてたらどうなっていくでしょうか。

もしそうしたら、子どもはいつまでたっても、箸やスプーンの使い方を覚えないということが、当然生じるわけですよね。

いきなりもう全部自分でやりなさいって言ったら、上手く食べれないとか、ギャン泣きするとか、いろいろなことが起こるかもしれないですけれど、でもそのときに、いろいろな選択肢はあるんですよね。

大人が食べさせてしまうのか、ギャン泣きしても自分でやるまで放っておくのか、ちょっと手伝うなのか、2日にいっぺんだけ1人で食べさせるのか…など。

いろいろな選択肢があるはずなんですけど、だいたい人生がスタック(停滞)しているときは、これしかないという風になっているケースが非常に多いです。

それでいったときに、シュレッダーのゴミ捨てするのがいつも自分という話なども、1つ1つ大事な話だと思うんですけど、このシュレッダーのゴミ捨ての話でいくと、まず頭で考えたら、他にどんな選択肢があると思いますか。

別にたくさん出てこなくてもいいので、要は他にも1個でも選択肢があればいいんです。

自分でゴミをまとめない……?………自分がシュレッダーを使わない。

例えば、私が思い浮かぶのは、職場でゴミ捨てのルールを決めるみたいなやり方も思いつきますし、自分は放っておくと頑なに決めてみるというのもあるかなと思います。毎回ではなくて、週に1回月曜日だけはやってみるみたいなやり方としてあったりするわけで、他にも考えていけば、いろいろとあると思うんです。

自分が我慢すればいいと引き受けてしまう人の思考パターンには、「人や組織を信じられてない」みたいなことがあって、この人たちはやる能力があるのであると思えてないから自分でやってしまうんですよね。

でも、さっきの子どもの例も同じ話なのですが、全部手を出し続けていたら何が起こるかといったら、いつまで経っても能力が開発されない。それは大人のチームや組織でも同じです。そこにはある種の傲慢さみたいなものもあったりします。

Tさんがそれで職場で怒ってたり、ストレスためてたりするイメージはあまりないのですが、自分が我慢すればと引き受けてしまう人でよくあるのは、自分で犠牲者のポジションを自分で選んでやっておきながら、怒っている人は結構います。

外からみると、「なんであの人怒っているんだろう、嫌ならやらなきゃいいのにね」みたいなのは、よくあるパターンかなと思います。

参考:ついつい自分を後回しにしてしまう人に知っておいてほしい|人間関係の4つのタイプ

ついつい自分を後回しにしてしまう人に知っておいてほしい|人間関係の4つのタイプ
相手の顔色を窺って、自分のことを後回しにしてしまいます。でも、自分が我慢すれば、全体の調和がとれるのであれば、そちらを優先したい気持ちが強いです。また、周りに我慢したり気を遣っている人がいて上手く回っているのに、それにまるで気付かず自分勝手にふるまう人をみると、ちょっとイライラした気持ちを感じることがあります。

ついつい自分のことを後回しにしてしまう人は

  • 「私さえ我慢すれば全体が上手くいく」という思考パタンではないか、自己探究してみる
    ⇒「全体のために自分が犠牲になる」ということに本当に心から喜びを感じるのであればそれもOK
    ⇒喜びを感じないのであれば「みんなのルールを決める」「もっと適切な人に担ってもらう」といった選択肢をちゃんと考えて実行することが大事
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