失敗したくないという気持ちはどこからくるのか?|どういうときは失敗を気にしていない?どういうときは失敗を気にして失敗するようなことを避ける?

この記事は約8分で読めます。

今回の探究テーマ:営業職 30代 男性 Tさん

「失敗したくない」という気持ちがあったり、上手くできない自分と向き合うのがストレスに感じるから、人間関係に対して、無意識に受身的になったりしている気がします。一方で、何でもかんでも失敗したくないからチャレンジしないわけでもない気がして…どういうときは失敗を気にしていないのか、どういうときは失敗を気にして失敗するようなことを避けるのか、このあたりをもっと探究してみたいです。

動画で見る

記事で読む

失敗したくない気持ちは当然誰にだってあるけど…

自分は無意識にすごい受け身であるんだな、受け身になってしまっているんだな、というのを認識して、それは何でなんだろうを考えていました。そうですね、仕事や婚活みたいな文脈だと、すごいしょうもなくも感じるんですけど、やっぱり失敗したくないとか、上手くできない自分と向き合うのが、ちょっとストレスに感じるとかがあるような気がするなっていう風に思いますね。

いやあ、それは結構興味深い話ですね。確かにTさんと話していて「失敗したくない」というキーワードは、他の文脈でも何回か出てきてたなと思います。例えば、資産運用について探究したときなどでも「失敗したくない」「損したくない」みたいな話が出てきてていました。

わざわざ失敗をしたいという人は別にいないと思うんですけど、Tさんからよく「失敗したくない」という言葉が出てくるのは、もっと探究してみたいですね。

ちなみに少し話が変わってしまうかもしれませんが、私も失敗はしたくないんですよ。私の場合、仕事でいえば、いろいろな企業のご支援をさせてもらう仕事を基本しているわけですが、もちろんご支援して、本当にいい結果になったなと思うところに行きたいし、お客さんからも「いや、頼んで本当に良かったです」って思われるような仕事したいです。で、失敗したくはないんです。「時間とお金の無駄だったな」って思われるようなことしたくはないとは思っています。

そこで、もう1つ軸があって、「自分の全力を尽くせたか」という軸が多分あるんですよね。全力を尽くしたにも関わらず届かなかった。望む結果に届かなかったみたいなことは、それはそれであると思っています。

例えば、金メダル取りたいと思って、目標として公言してたけども、全力尽くしたけど金メダルには届かなかったみたいなときに、私はそれをあまり恥ずかしいとは思わないです。「全力を尽くしました。でも届かなかったです。実力不足でしかなかったです」という感じなのですが、それを失敗とも思わないというか、少なくともそのことを恥ずかしいとは思わないですし、じゃあ金メダル取れないからと言って、金メダルを目指したいと思ってる気持ちに蓋をするかっていうと、それもしません。

私の場合は究極的に言うと、働いてる全ての人にやりがいとか楽しさを感じながら働いてほしいというビジョンを持ちながら日々仕事をしています。そこにチャレンジしていたときに、でも結局、関わったけど、なんかこの会社はそんなに良くならなかったなみたいな、現状維持ぐらいにとどまったなみたいなことも、正直に経験としてあるんですけど、だからもうそのビジョンに向かって頑張らない、とはなりません。

自分がどこに向かって歩んでいきたいのかが、どうしてもあるので、次の案件だって、究極的に言えば、絶対に上手くいく保証は別にないんですけど、でも全力は尽くそうと思って取り組みます。

全力尽くした結果、上手くいくことももちろんあるので、そのときはやっぱり単純に嬉しいし、上手くいかなかったなと思ったら、辛かったり、悲しかったり、悔しかったりするんですけど、その辛かったり、悲しかったり、悔しかったりする感情を、自分の人生から排除したいとも特に思ってないというのもあります。それはそれで貴重な経験だし、それを受けてまた自分が取り組むかというだけなので、それを感じたくないとは思ってないというのはあるんですよね。

大目標があって取り組むときの方が失敗が気にならない?

全部が全部、失敗を恐れているわけではないんだなという気も、聞いていて感じました。そうですね、過去に仕事でコンペとか出たときに、全力で提案書を作って、もう結構な時間をかけて作っても、普通に失注して売上はゼロみたいな可能性がある中で、すごい睡眠時間を削ってやったっていうこともありましたし。それは、失敗の可能性もあるけれども、失敗というか、失注の可能性あるけれども、なんかそれを恐れてやらない、みたいな選択肢は別になかったので。

「失敗を一切したくない」っていうわけでないんだなっていう風には感じました。何が違うんだろうなっていうのは、ちょっとよくわかんないんですけど。

「失敗したくない」ときと、何が違うんですかね?

正しい……正しいというか、的を得てるかわかんないですけど、「大目標」みたいなものの有無や、腹落ち感も一つあるのかなと思いましたね。

そのときのコンペの担当だったときは、結構若いときだったので、「絶対に予算達成する!」みたいな、すごいモチベーションで働いていました。で、そのコンペが受注できたら、その予算の達成率が結構ぐっと伸びる案件だったりしたので。こう、大目標に対して重要なピースだったので、目先の失注とか云々よりかは、そっちの達成率アップに向けて全力を尽くしたいという思いが、すごい強かったのかなっていう気はします。

この話、めちゃめちゃ面白いなと思って。自分的にはすごい納得感があるんですけど、大目標があった方が失敗できて、大目標がないと失敗できないって、結構一見すると矛盾してるというか、逆なんじゃないの?と思ってもおかしくないと思うんですよね。

「別に大きな目標がないなら、目の前のことが失敗しようがしまいが、どっちだっていいじゃん」となって、「どうしても達成したいものがあるから失敗できないんだ」みたいな発想だって、起きそうなものなんですけど。でも、すごい納得感があって、大きな目標があった方が、一個一個の失敗なんか、実は気にならないっていうのは、それを僕も言語化してきたことはなかったんですけど、今、でも本当にそうかもしれないと思いました。

経営者さんとかも、本当にすごいプレッシャーやストレスの中で、企業経営をしてたりとかするわけで、「ある案件でお客さんからクレームが入りました」とか、「あるエース人材がやめちゃいました」とか、ストレスに感じるようなものはたくさんあるんですけど、でも会社経営を通して目指している大きなところがあるので、「そういうこともあるけど、頑張り続けます」みたいなところがあるように思います。

例えば夫婦関係とかでも、「2人で生きて、幸せでいる」という大目的がいるから、日々、価値観の違いが露呈するような現象があっても、一つずつ対話してすり合わせる努力ができるというか。

でも、大目的がなかったら嫌になっちゃうと思うんですよね。だから、自分が幸せな人生を生きるとか、充実した時間を過ごすとか、それこそオリンピック選手が「オリンピックでメダル取りたい」とか、やっぱり大目標って、ある意味、目の前の一歩一歩の勝敗というか、成功失敗みたいなものを乗り越えさせる力があるんだろうなっていうのは、聞いていて、本当にそうだなと気づけた気持ちです。

人生の喜びがほぼゲームだというような人に個人的に思うこと

そうですね。自分で話したのと、石川さんからの今の話を聞いて、やっぱりそうかもって思いました。さっきのコンペの話もそうですし、自分がすごい頑張ってたなと思うのは、昔になりますけど、部活とかで「レギュラーになるぞ!」とか、「県大会で勝っていくぞ!」みたいなのは、日々の行動のモチベーションっていうか、行動の源泉になっていたので、そこに向けて、小さな積み重ねとか試行錯誤というのを繰り返していて、そのときに「失敗したくない」とかっていうのは別になかったなっていう風に思い返しますね。

なんかあるとき、「こう……何で働いてるのか」とか、「何で生きてるのか」みたいな、病んでるというよりかは、「自分はどこに向かってるんだろう?」みたいな、足元がぐらついたときが、30歳前後ぐらいのときにあって。

なんかそのときに、仕事の活力が自分の中で消えていった感覚がありました。「この一つ一つのこう、受注や売上を達成していた先に、何があるんだろう?」みたいのをすごい感じたときがあって……、そうですね、それぐらいから、もしかしたら、その、お客さんとの相性とかが良くないところは相手にしなかったりとか、「失敗したくないな」とか、そういうのが生まれてきたのかもしれないなって、ちょっと話していて思ったりしました。

面白いですね。でも、本当そうかもしれないです。なんか大目標みたいなものがなくなっちゃった方が、目の前の一個一個の勝ち負けみたいなものが逆に大事になっちゃって、「もう勝ちしかしたくないわ」みたいなことになるのかもしれません。「もう、負けても、負けて糧になるみたいなことも、よくわかんないから、とりあえず勝った喜びしか味わいたくないわ」みたいに、でも確かになるかもと思いました。

これはちょっと拡大解釈ですけど、素直に言うと、なんかゲームの世界とかですごいこう、時間を溶かしちゃってるみたいな人たちがいたときに、そういう状況に対して悲しみとか切なさみたいなのが正直あるんです。私としては「もったいないな」って、人生の時間の使い方として。

自分もゲームはしますよ、もちろんするんですけど、なんか今の話を思ったときに、ゲームってやっぱり勝てるじゃないですか。難易度がある程度、自分用に設定できちゃうし、勝てる領域でゲームすることができたときに、大目的がないと、「あ、勝った、クリアした」ばかりの時間が過ごせるようなところにいきたくなっちゃうみたいなのって、あったりするんだろうなみたいなのが、ちょっと、今の話からあらためて感じたことです。

「失敗したくない」という気持ちはどこからくるのか?

  • 失敗したくない気持ちはどういうときに起こるのかを探究してみたら…大きな目標や目的があって取り組んでいるときは、失敗を恐れずに挑戦したりできていることに気づいた
  • 大きな目標や目的がないとき、むしろ目の前の小さな勝ち負けや失敗が気になってしまって、失敗を避けたくなる
    ⇒人生に大きな目標や目的があること、それを見つけ出そうとする姿勢は大事かも
タイトルとURLをコピーしました