「なんかいいことないかなぁ」という気持ちの正体は?

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今回の探究テーマ:営業職 30代 男性 Tさん

最近よく「なんかいいことないかなぁ」という気持ちがあったり、結構周りからもこの言葉を聞くことがあるんですけど、なぜその考えが浮かぶんでしょうか?その正体はなんでしょうか?

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最近よく「なんかいいことないかなぁ」という気持ちがあったり、結構周りからもこの言葉を聞くことがあるんですけど、なぜその考えが浮かぶんでしょうか?その正体はなんでしょうか?

ちなみにどういうときに、その気持ちがふっと湧いてくるの出てくるでしょうか。こういうときだなというタイミングなどは、自分的にあったりしますか。

そうですね・・・
繰り返しの日常が続いているときとか、友人や知人と会うときも、食事して、お酒を飲んで、面白かったときの話をしてという繰り返しだなということを感じるときに「何か面白いことないかなと」思ったりするかもしれないですね。

ちょっと退屈だなぁや飽きたなぁみたいなニュアンスもちょっと入っているみたいな感じでしょうか。

そうですね。思い返すとそういうときが強いかもしれません。

もうちょっと何か新鮮なことや刺激的なこと、目新しいことが何かないかなみたいな感じで、「なんかいいことないかなぁ」という気持ちは出てくるみたいですね。

考え方としてコーチングがベースなので、どうしても相手に聞いていってしまうところがあるんですけど、聞いていくと解像度が高まるというのは、よくあります。

他の質問でも少しお話したと思うんですけど、「なんかいいことないかなぁ」の「いいこと」は、だいぶ抽象度が高いので、果たして私の望んでいる「いいこと」とはどんなことなのだろうかみたいなことをもうちょっと細かく観ていくと、ヒントが見つかりやすいというのはそれはそれでまずあると思います。

漠然とした気持ちに対しては、細かく観ていくことで解像度をあげる

「なんかマンネリだなぁ」「退屈だなぁ」「ちょっと飽きてるかなぁ」みたいなことがあったとしたら、それは単純に何か目新しいことをやってみましょうという話だなとも思っていて、いきなり何か大転換するのは大変なので、例えば転職するとしたら、しかも、今までとは別業種などで転職するとかしたら、きっとすごい目新しいことが起こるんですけど、ハードルが高いじゃないですか。

引っ越しをするなども、目新しいことが起こったりすると思うんですけど、そういうちょっと大きなイベントみたいなものも、もちろん「やっちゃうか!」と思ったら、やったらいいと思いますが、そういうレベルではなくても、いつも行っているご飯屋さんではなくて、違うところを開拓してみるとか。いつもは見ないYouTubeの動画を観てみるとか。

そういうことくらいからでも結構その退屈さから抜けるヒントがあったりとか、そっちの方向に何か転がってたりとか、そういうことはあったりするかなと思うのでまずは一歩目そういうことに取り組んでみるのはありかなと思います。

「退屈だな」「飽きているな」という気持ちがあるようであれば、是非意識的に新しいことに挑戦してみよう。身近な自分にとってハードルの低いところから、新しいものを取り入れてみるのがおすすめ。

フロー体験理論から紐解いて考えてみると

ここまでの話を聞いてみてどうでしょうか。

まさに先月それが理由といいますか・・・そういう要因もあって、引っ越ししたのかなぁという気はあるので、なんか仰るとおりだなと思いました。

 

引っ越しをして 今1ヵ月くらい経つんですけど、まぁちょっと慣れてきた感じもあってですね。確かに日々の食事がいま何だかルーティン化しているというか、ここのスーパーで買ってきて、ご飯を炊いて食べるみたいなのが、マンネリ化してきたなぁというのはあったので、そういう日々の食生活みたいなところもなんかマンネリ化する要因になっていたんだなぁという気はしました。

 

そうですね、一方で、食事や普段みないYouTubeとかというのは短期的な新鮮さはあるのかなぁという気はするけど問題の枝葉な気もしている、という気持ちもあってですね。取り組んでみたけどその気持ちは消えないなとなるような気もまだ残っているというのが今の率直な気持ちです。

ちょっとチクセントミハイのフロー体験理論から、この話を紐解いて考えてみたいと思います。フロー体験理論とは、 アメリカの心理学者、チクセントミハイ教授によって研究された 「人の集中力が高い状態はどういうときに生まれるのか」に関する理論です。

チクセントミハイ教授は、大量の被験者に「1日中の自分の状態を記録してもらう」という地道な研究データを集め、一人一人が1日の中でどんな心理状態、集中状態で過ごしているのかのデータを集めました。そして「没頭している」という状態にいるための条件と、没頭している状態そのものの素晴らしさについて発見しました。それをまとめて「フロー体験理論」としています。

フロー状態=没頭している状態は、能力と難易度のバランスの取れていることが非常に重要です。その人の能力よりも取り組むことの難易度が高すぎると、人は不安になって集中できません。反対に、その人の能力よりも取り組むことの難易度が低すぎると、退屈になって集中できません。

集中しているとか 没頭している状態は、結構幸せな時間、楽しく充実している時間です。スマホでゲームをやっていてもそうですし、仕事をしていてもそうなんですけど、フロー状態=没頭している状態にいられると、「すごい楽しかった」「充実感があった」みたいになるんですけど、ここまでのTさんの話を聞いていると、「不安」 か 「フロー」 か 「退屈」 かでいうと確実にフロー状態ではないですよね。

恐らくですが、Tさんは人生においてやキャリアにおいてくらいの大きさで、どちらかといったら 「退屈」 の状態にいるような感じがします。飽きてきたなとかマンネリしているなというのは、今の自分の能力で簡単にこなせることを繰り返しやっているという状態です。

なので、フロー体験理論の理屈で言うと、基本的には難易度をあげましょうとなります。

「飽きている」「退屈」というのは、難易度が低すぎることに取り組んでいるような状態。フロー体験理論で考えると、そこから抜け出すためには、取り組むことの難易度をあげることがひとつの解決策。

どうやって難易度をあげるのかというのは、これは本当に人によります。例えば、今は会社員をしているとしたら、副業を始めてみるということによって1週間や1ヵ月の過ごし方の難易度が上がってそれで楽しくなってくるかもしれません。

いや、副業はしない。自分の本業で今年出そうと思っている成果を1.5倍に設定してみようみたいなことで難易度が上がって楽しくなってくるかもしれません。

両方やってみてもいいですし、仕事やキャリアに関していうと本業か副業かみたいなラインがあると思うんですけど、もしくは転職などをしてちょっと違う領域にチャレンジしてみるというのもあるかもしれません。いずれにせよ自分にとっては難易度があがるはずなので、そういうことをやっていくというのはあります。

「なんかいいことないかなぁ」でよくある失敗とは

フロー体験理論から考えると、チャレンジをするということが、退屈から抜け出る鍵になりそうですが、それで「よし!チャレンジをしよう!」となればいいのですけど、結構多くの人が、チャレンジするのは面倒くさいなとか、やろうとすると不安が出てくるなとか、「面倒くさい」「不安」といった気持ちが出てくることが多くあります。

Tさんはここまで話を聞いてみて、どういう感じですか。

どちらかというと、面倒くさいという気持ちがあるのかなという気はします。

 

面倒くさいというのは、例えば副業だったら具体的に何をすればいいのかみたいなところを目星をつけて調べて…とかっていうのをするのがちょっと正直面倒くさそうだなという風に感じています。

この話は「なんかいいことないかなぁ」から始まっているんですけど、なんかいいことをつくりにいこうとしたときに、面倒くさいっていう気持ちが出てくるというのは、まぁ人間の心としてよくわかります。それが起こって、結局自分から動かないみたいなことは、本当によくあることだと思います。

ただ、厳しく言ってしまったら、動かなかったら そのままです。とはいえ、それを言ったところで仕方ないし、別に責めたいわけではないのですが……なら、どうやったら面倒くさいを越えて動けるのかといえば、やっぱりさっきお伝えしたように、最初の一歩のハードルを下げてみることなんですよね。

ハードルの下げ方は、さっき出てきた例のように、日々の食事や住む場所、仕事などで、自分にとっては変えやすいものからで大丈夫です。副業をしてみようみたいなことでも、何をやったらいいのかなってまず調べてみるとか、一歩踏み出すのが本当に大事です。

雪だるまをつくるときの最初の玉のひと転がしを転がすということ、ここがすごい大事で、転がし始めたら結構動いていっちゃったりするので、具体的に何で副業を始めるかを決めなくていいので、今日まずは3分ググってみる。「副業」「どんなのあるの」を、検索窓にいれてみただけでも結構本当にそこから変わっていくことはあります。

なんかサイトなどを見てみたら、ちょっとこれはピンときたかもとか、そういうことが起こり得るので、本当に自分にとってハードルの低いものを手前に設定してあげるというのはすごく大事かなと思います。

そうですね…
副業とか新しいことを始めるという点で言うと、そういう小さいスタートみたいなのもそうなのと、自分がなんか陥っていたなぁと思うのはやっぱり さっき石川さんも言っていた面倒くさいなら始まらないよねっていう自分自身に対するツッコミみたいなのもあってですね。

 

そういう・・・そういうことを言っている自分を観たくないから、面倒だと思っている自分を観ないまま、何かいいことないかなぁというところで止まっていたんだなと感じました。

いまのTさんの話はすごい大事で、理屈で言うと、なんかいいことないかなぁを観ていったときに、退屈しているんだなというとき、チャレンジするしかその退屈から抜ける方法はないです。でもそれをしようとしたときに、面倒くさいなみたいな気持ちが出てきたりします。

面倒くさいなが出てくるのは、すごい人間らしくてごく自然なことだなと思うんですけど、このときによくあるのが、面倒くさがっている自分を否定していたり、無視していたり、非難していたりするから余計に進んでいかないということが多々あるように感じています。これは本当に多いと思います。

【母性】と【父性】みたいな話を他の質問のときにしましたが、

【母性】と【父性】

心理学や社会学で使われる言葉。一般的に、父性は子どもの自立を促すような姿勢を指し、母性は子どもの気持ちをただ受けとめるような在り方のこと。どちらか片方に偏るのではなく、バランスよく取り扱えることが大事。

まずは自分の気持ちを受けとめて、新しいことに挑戦するのは面倒くさいと思っている自分の気持ちに寄り添ってあげて自分で自分を受容してあげることが大事です。

「面倒くさい」という気持ちが充分に気持ちとして満たされた後に、じゃあどうしようかというのが冷静に考えられるようになります。なので、面倒くさいよねという気持ちが出てきたら、それを自覚できたら、まずはちゃんと受けとめてあげてほしいです。

面倒くさがっているのは情けないなぁみたいなのは、【父性】の方の考え方ですが、先にそれを持ち出してしまって、面倒くさいという気持ちを受けとめてあげれないとやっぱり物事が進んでいきません。「なんか新しいことをやっていくって大変だよね、面倒くさいよね」という自分をいったん受容してあげると、その方がよほど早く面倒くさいから脱却できることが多いです。

面倒くさがっている自分を観たくないから観ないようにすると、ずっと面倒くさいに捉われてしまうということがが起こるというのが、すごい心の不思議というか面白さだなと思うんですけど、もう本当に3秒でも5秒でもいいので、自分の気持ちを丁寧に感じてみてあげてください。

「面倒くさいな」という気持ちが出てきたら、まずはその気持ちを充分に感じてみることが大事。

~面倒くさいという気持ちを感じてみると・・・~

感じたから出てきたのか、ここまでの会話の中で、別で頭の中に残っていたのが 表層化してきたのかは、わからないんですけど。

 

というより、どちらかというと後者かもしれないんですけど、新しい何か面白いことみたいなのがあったときに面倒くさいの方向で進んできたと思うんですけど、副業をやる以前に本業の方も気が進まないなぁで、後回しにしている仕事がたくさんあるなぁとかそっちの方がどんどん気になってきちゃいますね。

 

こっちの面倒くさいなぁが解消されて、じゃあ チャレンジってなるかっていうと、こっちのやり残していることとか来期の準備とか、数字が足りないなぁみたいなのが自分の中で大きくなってくるっていう感覚があります。

ちゃんと感じてみると、むしろ根っこは こっちだったかみたいなことも多くて、ちゃんと感じてないと、さっき例えば言った副業について3分でいいからググってみるみたいな解決策にある種飛びついて、やってみるんですけど、自分的には本質的には変わっている感じがしないなみたいなことが起こります。

Tさんの場合、面倒くさいよねをまずちゃんと感じてみたときに出てきたのは、副業頑張ろうではなくて、そもそも本業の方の嫌なことからちょっと目を背けてたんだなということでしたが、そうやって本質的なことが見やすくなってくるみたいなことは本当によくあります。なので、繰り返しになっちゃいますけどまずちゃんと感じてみましょうというのはあります。

「なんかいいことないかなぁ」の正体は?

  • 「なんかいいことないかなぁ」もよく見て解像度を高めていく
    ⇒「退屈している」「マンネリを感じている」のように解像度が上がっていく
  • 「挑戦したら退屈から抜け出せ」は分かってるけど、面倒くさい」の面倒くさがっている自分を母性的に受容することが重要
  • ちゃんと「面倒くさがってるなぁ」と感じてみるともっと根っこの問題が見つかることも多い
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