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高い意識を持ち続けて仕事に取り組める人とは?
もうちょっと聞きたいのが、例えば、(仕事でコーチングなどをしていて)その方の人生、10年後、まぁ長い時間、それこそネイティブアメリカンだったら、7世代先のことまで考えて何するかみたいなっていうのって、概念としてはすごく理解できる。そのことを思って、何か自分の今日1日を決めるみたいな。
でもなんか、それが難しいときもあるなっていう風に思っていて、聖人君子を目指しているわけではないんですけど、でもなんかそのネイティブアメリカンみたいな考え方は惹かれるところはあるんですよね。
自分の今日の生き方、今日例えば子どもと出会って、お客さんと話をして、買い物をしてご飯を作ってっていうところを、そういう風に思えているときもあれば思えていないときもやっぱり結構あったりする。思えていないというのはそこまで意識してやれているときもあれば、そうでない…ちょっと忙しさだったりとかに、自分が飲まれてしまうときもあるんですけど、どうしよう、自分でいいながら、こうした方がいいんじゃないかっていう回答が出てきたんですけどそれはそれで言っていいですか。
お願いします。
関わる人が結構大事かなってちょっと思いましたね。まぁ環境っていう表現に近いんですけど。
例えば何か自分が、そういう風な目指したいなとか在り方をしている、例えば友だちだったり、仲間だったりとかとこういう風なことを交わしていたら、自分ひとりでその気持ちを持ち続けてやるってよりも、あいつもやっているから俺も頑張ろうじゃないんですけど、なんかそういう風な人と時間を過ごすとか、そういう風な環境に身を置くだったりとかそれもひとつすごく大きいのかなって。
なんかネイティブアメリカンだったら、ずっとそういう風に生きている人たちが周りにいるから、そこにいる人たちもそういったことを考えやすい。その背中を見ていたり、それをずっと触れてるから、自分もそうしやすいっていうのもあると思うんですけど、いきなりそういったことを普段意識していない人が、いきなり7世代先のことまで考えて生きれるかというと……
それにまたひとつ言いながら問いが出てきたんですけど、環境的な部分による助けって大きいなと思う一方で、そうじゃなくて自分の意思によって、ちゃんとなりたい自分というか、なりたい自分というか…しっかり深めていける人とそうじゃない人がいると思っていて、なんかそれはどんな差があるのかなっていう……ふと思いました。
まず、最後にだしてくれたものでいくと、私としてはですね、自分でやってけるタイプというか、そういう人は、1番抽象度高く言うと、自分をちゃんと大切にしている人ほどできるという風に思います。
要は、何だろうな…例えば、7代先まで考えるということについて、手帳でもスマホでもいいけどメモを書いておいて、毎朝見るようにすれば、周りにそういう人がいなくても、「ああ そうだ、 7代先まで考えて生きていこうって自分は思ってるな」と意識するというのは、そこまでは別に難しい話じゃないと思うんです。
だけど、ほんとにそれを自分の中で取り入れて、「今日は7代先まで考えられてなかったな」と反省するとか、「今日はよかったぞ、いや なんか8代先までいけそうな気がする」という風になってく人というのは限られてきます。
では、自分をちゃんと大切にしている人とはどういう人のことでしょうか。
例えば 朝 手帳を見ることにした。朝 見たけど、「7代先って……」と1週間前の俺は言ってたけど、ピンとこないなとか。「7代先…」、一応文字面としては読んだけど、今この瞬間の自分には、全然刺さってないなとか。今朝は読めなかったなとか。
いろんなことが起こると思うんです。そのいろんなことが起こったときに、それを流してしまわないというのが、私にとって自分を大切にするということです。
何で今日の自分には刺さらなかったんだろうとか、全然ピンときてないなとか。1週間前の自分が今の自分に渡しているメッセージなんだけど、全然ピンときてないな、何でだろうということに、ちゃんと時間を取るということが、私にとっては自分を大切にするということなんですよね。
そこに時間を取ったら、「そうかそうか 、やっぱりいろいろ忙しさがあって、7代先ってことを考える余裕がなかったけど、やっぱり大事なんだ」とか、「1週間前の自分は7代先って言ってたけど、今の自分にとっては、1番大事なのは目の前の人との関係を瞬間瞬間大切にすることだから、7代先を考えましょうって今の自分にとっては大切じゃないな」とか全然ありえると思うんですよね。
それを、自分と対話する時間を取るというのが、私にとっては自分を大切にするということで、自分をちゃんと大切にできる人は、他者の必要性(環境を用意する必要性)が相対的にいうと低いかもしれないと思います。
なるほど。いい話ですね。
そうですね…そう思いますね…
適切な環境に身を置くことで刺激を受けることも大事
ただ一方で、自分の半生を振り返っても、身に置いた環境によって引き上げてもらったという感覚もすごいあります。
ちゃんと自分を大切にするみたいなことだって、その、もう50歳近くの自分にとってはだんだんできるようになりましたけど、20代のときにどれだけできたかといったら難しかったりするし、やっぱりいい環境に恵まれて身を置いて、適切に問いかけてくれる人たちとかがいるのも大事だなと思います。
「本当にそれやりたいの?」とか、「本当は嫌なんじゃないの?」とか、「今 何を大事に思っているの?」とか、聞いてくれる人たちがいたので、できたし、できるようになったみたいな面もそれはそれであります、もう間違いなく。
問いかけてもらって、考えて、あ ちゃんとやっぱりこういうレベルのことを考えるのが大事なんだと実感がわくから、自分でも時間を確保できるようになった面は多分にあるので、さっきのその環境か自分かでいったら、やっぱり環境も無視はできないと思います。
僕は今何でそれを聞いたかっていうと、ある種ちょっと傲慢かもしれないんですけど、みんながなんかそういう風に、自分とか自分の周りとかをいい風になんか大切にできたらいいなぁって。
なんか自分もそうしたいなって思うし、自分の関わっている人たちもそういう風にした方が、なんかその人も幸せだし、その人の周りも幸せだしみたいなのをなんか広げていけたらいいなっていうのはすごく思っている中で、自分もいろいろ試しているというか、自分が取り組んだものの中でよかったものとか、あれば、それは、誰かの助けになることもあるしと、あとさっきのやっぱ7世代先の話じゃないんですけど、もちろんそういう風に思えないときとかもあるし、それではいいんですけど、そういうのって結構僕にとっては大切なんだなというのは、話をして思いました。
なんなんだろう…なんでそういう欲求があるかはちょっとわからないんですけど。
自分を大事にできる人ほど遠い未来のことまで大事にできる
こう関わってきた人たちを見てても思うんですけど、自分のためだけに頑張るちからは結構限られてて、家族のためにとか、子どものためにとか、愛するパートナーとか恋人のためにとか、一緒に働いている仲間のためにというものが湧いてきているときの方がエネルギー値は高いなと思います。
何で7代先って考えちゃうんだろうのひとつの答え方として、私が思っているのは、自分を大切にするというのは本当に大事だと思っていて、ちゃんと自分を大切にしたら、一緒に過ごしている家族も大事にできるし、働いている部署の同僚も大事にできる。隣で働いている部署の同僚を大事にできたら、違う部署の会社の仲間も大事にできる。みたいな、やっぱりちょっとこう広がっていくのは、近いところからという感じを持っています。
同世代を大事にするって別に、地球で生きている70憶人みんなと面識があるわけではもちろんないんですけど、関わりのある同世代と一緒に大事にしながら生きているなって思える人ほど、じゃあ子どもとか孫とか、たぶんというか会うことはない7代先もという風になることが多いだろうなっていうのは経験値的にはすごい思います。
変にそれが正しい、そうあるべきみたいな感じで自分を責めてしまったりとか、自分を大切にできないみたいな感じだとちょっと苦しくなっちゃうかなぁというのはそれはそれで思いますね。
それでいうと Nさんが今、そう思うのは そういう…自分を大事にして、満たしてきたものがあるから、自然とそう思っているということなんじゃないのかなというのが、私の…何だろう 捉え方ですかね。
石川さんの…おかげです。
一助になっていれば幸いでございます。
でもなんか今 ほんとにそういう風に考える人が増えたらいいなと思う部分と、でもやっぱりそれによって、自分がないがしろにされてしまったりとか、歪んだカタチで人とか社会のためって思うのは、すごく不自然だなとも僕は思うので、でもやっぱりそれによって出ているこう歪みみたいなのもあったりするので、それがこう……健全なカタチというかになったらなというのは、もちろん自分ができるところからとか思うんですけど……そう思います。
今すぐにできるようにならなくても大丈夫
ちょっと今 思い浮かんだんで言うんですけど、いまいまで言うと、自分は経済的にも恵まれている方ですし、精神的にも満たされている方だなとまぁ幸せだなっていう感じだなと思うんですけど、結構自分の中では、じゃあなんでこうなれたんだろう、こうでいられてるんだろうって思ったときに、新卒で入った外資コンサルの会社とかで、結構ほんとにそれこそ徹夜して仕事してたんですよ。
一徹くらいまではいいんですけど、二徹・三徹してくると、何のためにやっているのか、よくわからなくなってくるんです。やることははっきりしているからやるんですけど、何のために俺は寝ないでやってるんだっていうのがわからなくなってくるんですよ。
結構これは仕事をしている方でいらっしゃる気がするんですけど、やることは決まっているというかやるんですけど、そもそもこれ何のためにやっているんだっけみたいなのがわからなくなる。
お客さんに喜んでほしいんだっけ、自分が出世したかったんだっけ、給料上げたかったんだっけとか、何のためにやってるんだっけというのがわからなくなっちゃうときってあると思うんですけど、正直に言うと、ときには仮病を使ったりとか…していました。
何のためにやっているのかわからないってなったら、なんか明日休みますとか結構して、カフェに1日こもって何で俺はこんなに忙しいのに、一生懸命仕事して、だってやめてもいい…?なんでこんなに忙しいんだっけ…?みたいなのを、もうずっと手帳に向かって何がしたかったんだっけみたいなのを書き出したりしていました。
で ああ そうかと、なんか自分はやっぱりコンサルティング業界の中で上を目指してたからこんなことで負けてられるかとか、同期に俺は絶対に負けないぞ、もっと評価される人材になるぞと思っているから、今徹夜してでもやってるんだと納得できたら、また翌日から頑張れるというのはありました。
どこで納得するかはそのときどきで本当に違いましたけど、自分としては、自分を大切にするための時間を取るのはほんとに大事だなと思います。また、その20代の頃の自分を思うと、まぁまぁ無茶苦茶な時間の取り方してたなと、仮病使って会社休んじゃうとか酷い話なんですけど、でも、ただやるっていうわけにはいかないということを自分の中に大事にできてきたから、この40代になって、恵まれてるなって思えるところにきたのかなと自分では思っています。
高い意識やありたい自分で取り組むことを忘れずにいたい
- 石川としてのおすすめは「自分を大切にすること」
⇒掲げた目標や大事にしたいことについて今 この瞬間の自分で対話する
⇒自分を大切にするところから時間軸や範囲がだんだん広がっていく - とはいえ、環境ももちろん大事
⇒適切な問いを投げ掛けてくれる仲間や、振り返りを一緒にできるような仲間を見つけ、共に時間を過ごすことも大事なこと