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自分が無意識・無自覚に持っている考え方や心理を探究したい

なんか、この無自覚とか、無意識な自分の、信じてるものっていうか、多分この興味関心とかいろんなものが無意識の中にあって、それをこう引っ張り出したい、みたいなのがすごい意欲として今あります。
最近コーチングしてくれた人とか、前に付き合ってた人とか、まあ経営やってる友達とか、「Mちゃん、それわかっているでしょう?」って言われる度に、「え、わかんないっす」みたいな(やりとりが結構あるんですよね)。(いろいろ話していて、私は無自覚なんですけど、相手からは)「え、分かるじゃん」みたいな感じのことを言われるみたいな。
私には、なんかすごい分かりたくないことが、もしかしてあるのかな?と思って。何を見ないふりしてるんだろう?とか、それを見たら何が変わっちゃうっていうか、怖いんだろう?みたいなことをすごい考えます。
ちなみに今の話を聞いて、私がピンときたのは、「Mさんは人の上に立ちたくないのかな?」というのは思いました。

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上に立つとか、導くとか、そういうことへの拒否感とか怖さみたいなことは、Mさんと話していた時に感じます。ちょっとセンシティブな領域なのであれなんですけど、ちょっと雑に言うと、(前回の話でセラピストみたいな仕事をしたいという話がありましたが)もしこれから対人支援みたいな仕事をするときは、上に立つ覚悟とか、上に立つというのを引き受けるというのは、私からすると、ちゃんと向き合わなきゃいけないことだなと思っています。

いや、そう。だから、今まで、(自分で)決めてきたと思ってたけど、全然自分の人生決めてなくて。決めるって、たぶん責任を持つことだったりするから、「え~!怖い」とか、今すごいなってたりとかします。
(人との関係性において)対等性みたいなのを、すごいたぶん気をつけて、ちょっと傲慢な言い方をすると、その人に合わせてあげてるみたいな感じで、多分ずっと生きてきたところがあって。上に立つと人と繋がれないんじゃないかな?みたいな恐怖は、たぶんどこかにあります。その、なんて言うのかな…矢が飛んでくるというかさ、それがたぶんものすごい怖いんだろうなって、今 思いました。
それは、向き合ったらいいですね。

本当ですね。そうします。
人の上に立つということは孤独になるということなのか?
ちなみに、理屈だけ言っておくと、上に立つみたいなことをしたとするじゃないですか。これは、比喩で言うんですけど、例えば、社長になる。自営業だった人が、ちゃんと経営者になって、部下を雇い出して、社長と社員っていう関係性をやり始めるみたいなことがあったときに、社長と部下という上下関係があるんです、どうしても。
その上下関係を引き受けられないで、「みんなで横なんだ」と言っていて、上手くいく会社は、たくさんの会社をみてきましたが、ほぼほぼないんですよ。やっぱり、社長は自分は最終責任者だということを引き受けて、その上で、できるだけフラットにしようとかはあるかもしれないですけど、上下関係をゼロにはできません。だから、社長と社員は、友達にはなれないんです。何故なら、友達ではないから。信頼関係を築くとか、仲の良い関係性は全然できますけど、友達にはたぶんなれないです。
だけど、じゃあ、社長さんは友達がいないのか?といったら、社長は友達いるんですよ。だから、別に自分の人生が孤独になるわけではないですね。
社長という職業を選んで、人の上に立つとことを選んだらイコール孤独になるわけでは、全然ないです。今までとはポジショニングが変わるみたいなことはあると思いますけど、人の上に立つと、誰とも繋がれなくなるわけではないですよね。

うん、そうですね、本当に、冷静に考えれば。
理屈で考えればの話ですけどね。
自分の人生の時間をどういう割合でどういう人と過ごしたいか

友達という概念というか、友達とか親友とか家族とかって言われてる人は、もちろん分にもいるけど、なんかその意味がずっとわからないというか………、なんて言うんかな、このカタチ状は言われてる定義はある。でも、私の中で、友達とか親友とか家族って何なんだろう?みたいなことを、ずっと子どものときから、なんか思ってるというか。そこもちょっと向き合ってみようかなって思いましたね。
自分なりの友達の定義とか、親友の定義とか、家族の定義が全然あっていいんじゃないですかね。世の中一般の、唯一絶対の正解の定義は、私はちょっと出せる気がしないです。「私は家族というものをこう捉えていて、私にとっての家族はこうなんですよね」というのが、あっていい気がします。

今まで、悩みで人と繋がるってことを、私がやってたなっていうのが、たぶん1つあって。だから、悩みじゃない繋がり方をしたいなと思いましたというのと、とかいって、つい昨日も、「人の愚痴って楽しく聞けるんだろうか?」「どうやったら人の愚痴って楽しく聞けて、何を知れたら私は楽しいんだろうな?」みたいなことを考えてて。……私ってそういうことしか考えてないな、と思ったりもして。
それはそれで、個性でいいんじゃないかなと、私は思います。
いや、単純にね、例えば、スポーツとかが同じ趣味で、走る仲間とか、テニスする仲間とか、まあ、あれは友達じゃなくて、仲間なのかもしれないですけど、そういう別に、関係だってあるじゃないですか。
その関係性では、テニスを一緒にするのが楽しみであって、別に悩み相談する必要も全然ない。「ああ、あのショット良かったね」とか言いながら飲んでたら楽しいわけで、別にそれはそれで、そういう関係性も人生の中で一部あったらいいと思います。
どういう領域の人たちと、どれぐらいの割合の時間をかけて過ごしたいか、なんだと思うんですね。人によっては、「そんな人の困り事とか悩みとか聞きたくないよ」って人だってゴロゴロいるので、そういう人たちは、そういう人生になってくると思いますし、自分がしたいのであれば、人の困りごとを聞く時間がたくさんある人生だってそれはそれでありだと思います。

そうですね。楽しい時間でした。ありがとうございます。
人間関係(上下関係や友だちの定義など)について探究する
- コーチやセラピストなど、支援する側とされる側で、上下関係があるときに、人の上に立つと人と繋がれなくなるわけではないし、上に立つ人が孤独なわけではない
- 友だちや家族をどう定義しているのかは人それぞれ
- 自分の人生で、そのくらいの割合の時間をどういう人たちとどのような関係で過ごしたいかも人それぞれ!自分はどうしたいのかが大事かも