【1人部署の悩み】仕事でチーム感を感じたいというか、話す相手がいなくて寂しいようなというところに悩んでいます

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今回の探究テーマ:人事 30代 男性 Oさん

中小企業で、私の担当している人事部は他にメンバーはおらず、自分1人です。最近、仕事においてチーム感を感じたいというか、話し相手がいなくて寂しいかもという気持ちを感じています。会社の方針として、管理部門に人を増やすという方向性は考えにくく、自分のできる範囲でこの状況を変えていきたいです。

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1人部署で仕事をしていてチーム感がないことに寂しさを感じている

なんかパッと思いつくものとしては、これはある意味ずっと向き合っているテーマでもあるかもしれないんですけど、(会社に所属しているが部署としては)基本1人で組織的には仕事をしているので、なんかその…なんて言いますかね、チーム感がないことへの寂しさが時折、なんかあるなというのがあって、なんかまぁそれは一種自分の思い込みかもしれないし、とはいえ、なんか向き合っていかないといけない、認知を変えていかないといけないところかなっていうところは、なんか思っているところかもしれないです。

最初にOさんにお聞きしたいのは、チーム感ということなんですけど、たぶん人によってどういうものがチームっぽさを感じるかって違うと思うんですけど、Oさんのイメージするチームっぽさ・チーム感ってどんなものでしょうね。

まぁ、なんでしょうね、共通の課題・目的がもちろんあるっていうのは、まぁまぁそうなんでしょうけど、あとはなんか日常的な会話や対話、雑談・コミュニケーションがあるっていうのがなんか大きいかもしれないですね。どちらかというとなんか、自分には後者がなんか欠けているように感じるというところが大きいかもしれないです。

状況的にはOさんは、部署に所属している人としては1人という状態なんでしたっけ。

そうですね、はい。

部署名はわからないですけど、仮に人事部だとして、1人人事部でやっているみたいな感じということですよね。そうすると直属の上司は社長で、まぁある意味社長と二人三脚かもしれないですけど、社長と別に毎日べったり一緒にいて 雑談して、コミュニケーションして、という感じでもないってことですかね。

はい、仰るとおりですね。

状況はいったんわかったかなと思います。私が今 思い浮かんだのは、というときにすごい単純にチームの楽しさあるから、やっぱりうちの部署に人を入れたいな、採用して、2人以上 3人以上にしたいなとパッと思う人も多そうな気もするんですけど、そうは仰ってなかったので、なんかそうなのかもしれないし、単純に自分のなんかチーム感を感じていない自分に原因があるみたいな可能性もあるかなみたいな、ちょっとそういうニュアンスを感じてたんですけどなんかそのへんってご自身なりに現時点でどう思っているみたいなのありますか。

なんか人を増やすっていうのは、そんなに簡単でもないことかなぁとも思っているし、で、且つ、会社の方針的にもやっぱりそういう小さい組織で、管理部門的なところ、人事部的なところはまわしていくという方針もあるので、なんかそんなにそこは、自分の力で打破できるところでもないかなという感じですかね。

会社の状況や文脈的に確かに人が増やすのはそんな簡単じゃないかもしれないですけど、1人は寂しいんですっていうのを社長にいってみたらどうなりそうですか。言ったことありますかとか、ちょっとわからないんですけどどうでしょう。

言ったことはあるかもしれないですけど、なんかそんなに明示的には言ってないかもしれないですね。言ってみたらどうなるんでしょうね、でも、うーん、一方で、そうですね、なんか…今は採用とかも1人でやっているんですけど、次を考えていかないといけないよねという話もあるので、じゃあそういう人物を社内に、どうつくっていくかみたいなそういう次の展開の話にはなっていくのかなというとこですかね。

Oさんは「自分を優先する」は苦手なのかもしれない?

いったんここまでお聞きしたもので、なんとなく思ったものをちょっとわーっと喋ってみるので、それ聞いてみて、どう思うか、どう感じるかをちょっとご自身で感じてみていただきたいんですけど、Oさんとは今日初めて喋るのではなくて、ちょっとお付き合いもあったので、そこの情報も入っちゃっているかもしれないんですけど、なんか少し…どういったらいいかな。

自己犠牲的なというか、自分を優先できないというか言い方はいろいろありますけど、ある種わがままな人って、寂しいときに「私は寂しいんだー!」って言って、どうにかしてくれーってなんかいう人もいると思うんですね。

まぁ社会人、日本の社会人であまりいないかもしれないですけど、いう人もいると思うんですけど、もしタイプを分けるんだとすると、いやでも状況もあるしな、文脈考えたらなとか、そうするとそんな自分のわがままとか、自分の個人的な寂しさみたいなことを取り扱っている場合じゃないよなみたいな、

このある種全体を優先して、自分を後回しにしてしまうみたいな風にも、ちょっと抽象度上げて言うと言えるかなみたいなのも、ちょっと感じたんですけど、それをなんかお聞きになってどう感じられますか。

そういう傾向は強いなという自己認知はすごくありますね。で、なんかそれで余計に自分もしんどくさせるときもあれば、それがドライブとなって、仕事の成果に繋がっていくときもあればなんか両方の側面があるなってあらためて聞いて感じてますね。

自分の傾向やタイプとしてはそうだなっていう自己認知がおありなんですね。

はい。

まぁまずすごいストレートに聞いてみるんですけど、その傾向・タイプって、どう…変えたいとか そのままでいたいとか、ちょっと変えたいとかわからないんですけど、どう思っていますか。

いや、難しいとこですね。変えたいなという思いもありつつ、でもそれが自分だよねという、うん、ところもありつつ。でもきっとこんな話をしてるってことは、何かしら変えたい自分もいるんだろうなという、そんな感じですかね。

これまでの人生の中で寂しさ感があまりなかった時期はありますか?

これも聞いてみたくなったんですけど、社会人生活でも学生時代とかでも、いつの時代でも構わないんですけど、寂しさ感があまりなかった時期ってありましたか。あったとしたら いつでどんな状況でしたっていうのをちょっと聞いてみたいんですけどいかがです?

ああ…どうですかね、確かになんかこういうことを感じ始めたのは、社会人になってからかもしれないですかね。とはいえ、なんでしょうね。こういう自分を作ったのは、10代とか、小学生の頃とか、なんかそういうときの自分かなという気もしていますね。

例えばその高校とか大学とかそういう時期は、周りの友だち仲間とわちゃわちゃしててみたいな、そういう時期もあったかなという感じですね。

そうですね、で、うーん、社会人になって、もともとはそういうチームで仕事をしてたという経験もあり、そこから人事になって、会社は変わって、今があるんですけど、会社を変わる前から、どちらかというと1人で動くところが多くてというところで、その頃からこういう感情は、なんかちょっとずつ
抱え始めたかなというところですかね。

その10代の頃が、今の自分のある種原型みたいなのをつくったかもなというのは、差支えない範囲で全然いいんですけど、どういうことなんですか。

そうですね、まぁあの、単刀直入にいってしまうと父親を亡くす経験をして、それがまぁ10歳くらいの頃なんですけど、なんかそこからもう自分のわがままはもう言えないなという実感をし、そこからあまりなんか自分の感情とかを主張しなくなったというのが、大きいかもしれないですね。

その当時 ご自身なりに考えたり決意したことがあるんでしょうね。

そうですね。

10代のときにそう思って、そう決意したのは、すごい大事なことだったんだと思うんですけど、まぁ状況とか年も変わって、今 Oさん 今 何歳くらいでしたっけ。

40歳手前くらいですね。

10年~20年経っていると思うんですけど、そのご自身の年齢とか状況とかは変化していて、当時決意したことみたいなのを、引き続きこの後もやっていってもいいですし、変えてもいいんですけどって言われたときに なんかどう思いますか。

そうですね………いや、難しいですね。でも変えたいんでしょうね。なんかこういうことすら話す相手がいるっていうのが、なんか自分の中でのチームなのかもしれないですね。

ちょっと極端にいうと、グラデーションだと思うんであれなんですけど、自分のある種我がままを言うし、自分の気持ちを出しちゃうし、ある種 周りのことを考えずに、周りのことも全然考えたらいいんですけど、それでも自分はこういう風に感じているみたいなのも言うし、で 周りの人に、ちゃんと受け止めてもらうみたいな関係性をつくっていくという風に変えていくのもありちゃありですものね。

一方ででもやっぱり自分の弱みを見せるとか、誰かに頼る、助けを求めるというのは結構昔から苦手かもしれないですね。

頼っちゃうとどうなっちゃうみたいな思いがあるんですか。

なんか相手に負担をかけるのが申し訳ないとか、っていうのが結構感情的には強いかもしれないですね。

すごい理屈で正論で言っちゃうんですけど、健全な人間関係をつくろうと思ったら、どっちかが犠牲でどっちかの方が恵まれているという関係じゃなくて、お互いに迷惑をかけあってとか、お互いに支えあってということだったりするかなと思って、今の話って極端なデフォルメして言ったら、まぁOさんばっかりがある種我慢とか後回しにして、周りを支え優先してっていう構造みたいにも まぁ言えると思うんですけど、それをいま 言語化してみたときにそれを眺めてみてどう思います?

うーん、そうですね。なんか自分が犠牲になっているというよりかは、相手、周りも、自分と同じように忙しさを抱えているというところから周りに頼れないというのが強いのかもしれないですね。

自分だけがなんか無理しているとか苦労しているとかじゃなくて、みんな大変なんだろうから、そんな中で自分のわがままいうとのどうなのっていう。

はい。

チームではなく話せる相手が1人でもいればいい可能性も

ちょっと全然、全然でもないんですけど、ちょっと違う角度のものをぶつけてみたいんですけど、チーム感という話に戻ったときに、私もバスケ部出身で、チームでやっているのがすごい好きで、人とかチームに興味があってこの仕事を始めたんですけど、独立するときに、自分でも不安に思って、まぁいったん1人になるので、親とかからもあなた友だちとかいないと無理なタイプなのにできるの?みたいな、心配されたりとかあったんですけど、結果 大丈夫でした。

それは1つは、いってプロジェクトとかお客さんとか何かしら関わりは日々あるので、本当に誰とも喋らないみたいな仕事では全然ないので、コミュニケーションする相手はいたということと、それ以上に大きかったのは案件を一緒に行く人はほぼ必ず誰かはいたんですよね。

で その 電車でお客さんのところに行く行きのところで、今日どうなるかなとか、帰り道、いや今日すごいみんないい話してたよねみたいなのとか、今日はちょっといまいちだったねとかなんかそういう話をできる人が全くいないでやった案件ってなくはないんですけどあまりなくて。

ちょっと話飛んじゃうというか、展開しちゃうんですけど、私あのカウンセラーの友人がいるんですけど、カウンセラーも結構孤独な仕事で、毎日毎日クライアントのまぁ言い方は悪いですけど、愚痴を毎日聞いているみたいなことをしてて、私から見るとですね、よくそんな持ちますねといったときに、やっぱりカウンセラー同士で、どう?っていって、いや今日はちゃんとクライアントの話を聞けたかな、そうなんだ よかったねみたいな、コミュニケーションがあるからできているということを言ってました。

そういう意味でいうと 何人もは必要なくて、1人でも 本当にその状況とか気持ちを共有できる人がいれば、意外とそれで満たされちゃうところもあるのかなみたいなのはちょっと思ったんですけど、それを聞いてどうですか。

うーん、そうですね、確かに、なんかそういう相手や機会が現状はなんかないのかなという感じがしますね。そうですね、で、なんか出社しても1人だったりとか、ということもあったりするので、いかに自分で周りを巻き込んでいけるかがポイントなのかなとか、なんかそんなことも感じましたね。

正直 社内でも社外でも構わないと思うんですけど、人によっては、1人人事の人とかって、ちょっと人事のコミュニティみたいなのに顔を出して、そこで同じ悩みを共有しながらみたいに、やっている人もいたりとかすると思いますし、社内だと1人候補は社長なんでしょうけど、それ以外にももしかしたらいるかもしれませんけどどうですかね 。

1人 そういう共有できる 相談できる相手を持つとしたら、この人でもいいですし、このへんのフィールドにいるかもみたいなのって、あったりしますかね。

うん。そうですねぇ…はい、なんか、もしかしたら、そういう関係になれるんじゃないかっていうのは何人か頭に浮かびますかね。そういう意味じゃ。

そこは踏み込んでみるのはどうですか。

なんかここまで話してきたようなことも含めて言ってみてもいいのかなという気はしてますね。

人は2度と体験したくないようなことほど一般化しがち

あの話変わっちゃうんですけど、Oさんは人から相談されたり、頼られたりしたらどんな気持ちになりますか。

ん…そうですね、なんかまぁまぁ少なくとも負の感情はないというところと、なんか自分中心な言い方をしてしまうと嬉しいという…感情が強いですかね。

そしたら Oさんが誰かに頼ったり相談したりしたら、相手もそうかもしれないですよね。

そうですね。……なんでなんでしょうね、自分は嬉しいのに自分がすると相手に負担だと思ってしまうという。そうですよねぇ、なんか自分と相手は違うという思い込みがなんかあるのかもしれないですね。

本当に所謂強烈な体験ほど一般化するので、例えば インドに旅行に行きました。めちゃめちゃおなか痛くなりました。二度とインドではご飯食べないみたいなことってなるんですよね、人間って、その店がそうだったんじゃないのみたいなことでも、それはもう本当にいろいろなところで、一般化は当然起こりますし、強烈なものほど、特にもうそれは感じたくないなみたいなものであれば リスクはできるだけ減らしたいわけです。

可能性としてなしにするっていうのは、もちろん起こるわけですけど、それは先ほど仰っていたようにね、お父さんを亡くされて当時のOさんにとってはたぶんすごい大事な決意であり、周りとの関係性を築く上で周りを大切にしようと思ったときに、自分のとれる中 最善の選択だったみたいなのは全然あると思うんです。けど、別にシチュエーションはいま同じではないので、周りにいる人も当然違いますし、そうすると 状況によって採る選択を変えるっていうのは、ここの領域においては、引き続きそのつもりで過ごすけど、こっちはもうちょっと頼ってもいいかなとか、ちょっとこうケースで変えていくというのは、正直全然ありかなぁと思います。

結構このへんを、こうやって話して整理していったときに、なんかOさんやってくれちゃいそうな気もするんですけど、実行に移すとなるとハードルがあるみたいなのも結構あって、じゃあ本当にいざ ちょっと聞いてくれる?って言えないんだけど、やっぱりちょっとなんか言えずに、1週間過ぎました、1か月過ぎましたみたいなケースもまぁ、経験しているんですけど、どうですかね。

ちょっと話聞いてほしんだけどさぁ みたいな、どういう声掛けがご自身として声掛けやすいかはもちろんあるんですけど、さっき思い浮かんだ何人かに声かけれそうですか、イメージ湧きますか。

そうですね、うん。なんか思い浮かんだうちの1人には、単刀直入に言えそうな、うん、そんなイメージがありますかね。なんかそれによってまたなんか関係も強化されるような気もするし、それがちょっと広がっていけば、またなんか今までとは違う関係性を、いろんなところでも築いていけるのかもしれないなということも、うん、なんか感じている自分もいますね。

無理がなさそうであれば ぜひ近日中に。

そうですね。

実際にね やってみてまた感じることとか起こる展開があると思うので、それはそれでまた 受けてみて、感じたり考えたりしてってすれば、いいかなと思いますけど、いったん今日最初にチーム感のない寂しさみたいなテーマで始まって、ちょっといったん一区切りのところまできたかと思うんですけど、ここまでの感想とかでもいいですし、もうちょっと今の話をしたらこういうこのへんも整理したくなってきてみたいなのがあればそれでもいいですし、どうですか。

そうですね、なんかいったん今まで話してきたところに関しては、1つなんかやってみるべきことが見えたなという意味では、まあまあ スッキリというのはまだ行動をしていないので違うかもしれないですけど、なんかいい時間になったという実感を持っています。

 

かつ、そうですねなんかこう社外以外でもそういう関係性を、何か、今日話してきたような関係性を持てたらいいなというのもありつつ、社内でもそういう人を見つけていきたいなという、どっちも、社内も社外も人のイメージが浮かんでいるので、なんかどっちもトライしてみたいなというのと、なんか近日中にそういう機会をナチュラルに設けられそうなところがあるので、なんか是非、はい、やってみたいなと思えたという意味では、なんかちょうどいいタイミングでなんかこんな機会を設けれたらなといういったんの感想としてはそんな感じです。

今回のOさんのケースでは

  • どちらかというと相手を優先して自分の気持ちを主張するのが苦手なら、「寂しいかも」「話し相手になってほしい」と誰かに相談したり頼ってみることも大事かも
  • 仕事の苦楽を話せる相手がいることは大事!
    ⇒チームで仕事をするのがいいのか、同業の人と話せる機会があるといいのか、社内で1人でも話せる相手がいればいいのか、選択肢をいろいろと考えてみる
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