漠然とした「嫌だな」「つまらないな」はありつつ、何となくそのまま過ごし続けてしまう

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今回の探究テーマ:営業職 30代 男性 Tさん

自己分析していくことが大事というのはわかっているのですが、いろいろと考えることがある中で、漠然と「嫌だなぁ」と捉えたまま過ごしてしまうみたいなところが自分自身は結構あります。ふと自分がマイナスに傾きそうなときに、どう客観的に自分を捉えてアプローチをするかの方法が知りたいです。

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漠然とした「嫌だな」「つまらないな」はありつつ何となくそのまま過ごし続けてしまう

自分のことを、ちゃんと観察する癖づけみたいなのって、なかなかできないなぁという風に思いまして。

 

細かく自己分析していくことが大事というのはわかっているのですが、いろいろと考えることがある中で、漠然と「嫌だなぁ」と捉えたまま過ごしてしまうみたいなところが自分自身は結構あるのと、他の人もそういうところが結構あるんじゃないかなぁと思ったんですけど。

 

ちゃんと観察して、解像度を高く捉えるというのは、言われたらやれるんですけど、それをどう日常的にやるというか。ふと自分がマイナスに傾きそうなときに、どう客観的に自分を捉えて、そういうアプローチをするか、そのあたりが引っ掛かりましたね。

日々のやり方というところで言うと、明確に1つは「書き出す」ですね。

書き出す先は、スマホがいいのか、パソコンがいいのか、はたまた手書きでシャーペンやボールペンとかで手帳とかに書き出すのがいいのか、それはやりやすいもので大丈夫です。自分は何だと書き出しやすいのかということも、ぜひ試行錯誤してみてください。

「書き出す」という習慣は、たぶん非常に重要で、最近はジャーナリングという言葉もよく聞くようになってきました。「自分が思っていることを、ノート等に空っぽになるまでとにかく書き出してみてください」という手法が ググってもらったら出てきたりすると思います。

ジャーナリング(journaling)

頭に浮かぶことをただただ書き出し、自分の思考や感情を客観視する手法。最近は「書く瞑想」と呼ばれることも。

私は経験上、書くのはすごい大事だと感じています。自分自身で言うと、もし今ここまで、自分の仕事やキャリアがそれなりに上手くいってきたとすると、その成功の間違いなくひとつは「書いて」きたことだと言えるかもしれません。

なんか最近楽しくないなとか思ったときに、ちゃんと書く時間をとってきました。今もですが、週末だったり、仕事終わりや朝にカフェで書いたりみたいな感じで、書く時間は日々の中でかなり確保しています。

もう習慣になってしまっているので、自分にとってはあまり苦ではないんですけど、最初のうちは恐らく意識的に書くということをした方がよくて、とりあえずやってみると、「書いたら見えてきた」「書いたらスッキリした」というのが出てくると思います。その成功体験を重ねながら、習慣化できると、最高です。

もし漠然と「嫌だなぁ」「つまらないなぁ」と思うことがある方は、とりあえず今すぐにでも!書き出し探究するのをやってみる

人にはタイプや個性があるので、「書く」はどうしても難しいという場合は、聞く / 読む / 書く / 話す の他の方法も試してみてください。

例えば、「話す」なら、誰かに聞いてもらう。

『なんか最近楽しくないんですよね』

『そうなんですね』

『いやぁ何が楽しくないかって言うと・・・』

『・・・大量のメールを送るの大変なんだよなぁ』

そうか、そこが自分は嫌だったんだと、喋ると気づくみたいなこともあります。「話す」の場合も、定期的に誰かにお願いして聞いてもらうなど、意識的に取り組んでいくことが重要です。

自分のいま考えていることをアウトプットする場や時間を確保できるようになると、それだけで、日々の職場や家庭での時間が、より豊かに過ごせるようになるかもしれません。

書き出してみて「わかった!」とはなるけど、結局何もやらないでそのまま過ごしてしまう

…と、ここまでの話を聞いて、率直にTさんは今どんな感じですか。

2つあって、結構自分は書いてたって思ったんですね。

 

今日の昼間も、別のテーマについて書いてたんですけど、書いて、自分がなんかよくないなぁみたいなことが、どう構成されているか、作り上げられているかわかって、「これとこれがよくない」「これをこう改善したらよりよくなる」みたいになったんですが、結構書いてそのまま終わるとか、後回しにしちゃうというのが悪い癖だなと思って。

 

仕事力みたいな感じのところもあると思うんですけど、わかって終わっちゃうというのはどうしたらいいかは気になりました。

 

あと、「書き出す」って、どういう風に書いていたらいいのか、とりあえず思っていることをバァーッと書いているのか、「書く」 How toみたいなのがあるのかとかもちょっと気になりましたね。

まず、「書いたけどやってない」「わかったと思ったけど、やっていない」というときは、簡単に言ってしまうと、それは「(本当には)わかっていない」という状態です。

例えば、仕事の締め切りが遅れてしまった。それは何故だろうかを考えたとき、「朝 起きれずに、そもそも時間ギリギリで出社していて、余裕なかったものな」という気づきが出てきた。

「なら、 朝 早く起きよう!」目覚ましを今まで8時にかけていたけど、7時にちゃんとかけて起きれば仕事の締め切り遅れないだろう。

「よし わかった!」 といって、解決した気になるけど、翌日7時に目覚ましをかけても、結局あと1時間寝れる…と寝てしまって、起きれない。

このように、ソリューション(解決策)を出したときに、結局やらない、そして問題はそのままなので同じことを繰り返してしまうということは多々あります。

それは何故かというと、多くの場合、頭だけで考えていて、自分の本音をくみ取っていないからということが非常に多いです。理屈ではそうだし、理想はそうなんだけど、本当にやるの?というチェックが入っていない。そういう 「わかった」 だったりする。

これは、私が人にアドバイスするような仕事していてもそうなのですけど、こういう経験はいっぱいあります。

例えば、ある営業職の方が、売上が足りなくて、成績が足りなくて、でも評価は高い評価を取りたいし、頑張らないといけないんですと言って、「じゃあまずは、お客さんになってくれそうな人に100人会いましょう」とお伝えしたら、「そうですね それやります!」となりました。

でも、翌月会って「何人にお会いしましたか?」と尋ねると、「いや、ひとりもまだ会っていなくて…」みたいなことは、多々あるのです。

何故こういうことが起こるのかというと、そのアドバイスは正論かもしれないけど、本人にとってほとんど意味をなしてない。

最終的に出てきた何をやったらいいかという「How」はもちろん大事ですが、その手前の「何でできていないのか」というところや、「本当にやりたいのか」みたいなところを確認しないでやるから、上手くいかないのです。

そのときに、「解決策を後回しにした」と思ったりするんですけど、実はこれは、後回しにしているのではなくて、そもそもやりたいと思っていないという場合が、正直多々あります。何でやりたくないのか、本当は何がしたいのかという問いに向き合うのがしんどくて、浅いところで空回りが続いちゃうみたいな、そういうことは非常に多いです。

何が問題かも、その問題に対してやることもわかっているのに、全然解決策を実行できていない場合、理屈では解決策が適切だったとしても、「本当にやりたいのか」という自分の本音の確認ができていないのかもしれません。人は、頭でわかっただけでは動けず、心(自分の本心)も納得している必要があります。

自己分析や自己改善に取り組む際に大事にしたい順番

めっちゃあるあるですね、それ大事な話しているなと思いました。

 

自分自身のひとりで内省して進まないなみたいなのもそうですし、仕事でマネジメントのときも いま事例でもありましたけど、すごい起こり得る話だなと思いました。上司に指摘されたりして、頭では理解できて、「わかった」となるけど、言われたことを全然直せないみたいな…。

 

このあたりって・・・なんかマネジメントとして部下や後輩に言ったり、上司や先輩に言われたりして、でも、やらなかったみたいなのは、実は内心では納得していないから等の理由があることも多いですけど、誰か人から言われてではなく、自分で書いたときって、「ああ、これだ」という感覚になるときが多いんですが、それでもやらないということは本当はわかっていないということだとすると、どこまでやったらできるようになるんですかね?

大切なことは、まずひとつ事実をよく観ることです。

何でもいいのですけど、例えば「ダイエットしようと思って、1日10分 運動しよう。そうしたら痩せられる」と思って、2日続きました、3日続きました、でも、4日目やらなくなりました。所謂三日坊主が起こったときに、4日目はやらなかったんだという事実をまずよく観るのがすごく大事です。

事実を観れなくなってしまうパターンは、いくつかあるんですけど、よくあるひとつのパターンは、自分を責めているので観たくなくなっちゃう場合。

「あ、また三日坊主だ。俺って駄目なやつだ」みたいな気持ちです。やろうとしたことが、なんでできないんだろうと、自分を責める気持ちが先立つと、事実を観るのはとてもつらくなり、やらなくなります。でも、そうすると「ダイエットが続いていない」という問題は、そのままになってしまうので、自分を責めるのは本当にやめた方がよいです。

これは理屈で考えると難しいです。「あ、俺は3日運動したけど、4日目はやらなかったんだ」ということをよく観て、何でなんだろうということをフラットに分析する必要があるんですけど、実際にはさっき書いたように、またやらなかったという自己嫌悪のような気持ちが起こっていて、冷静に分析するところにたどり着いていない。

私は、この「自己分析をする」「自己改善をする」ときの基本と思っているのは、【母性】【父性】というのがあるんですけど、

【母性】と【父性】

心理学や社会学で使われる言葉。一般的に、父性は子どもの自立を促すような姿勢を指し、母性は子どもの気持ちをただ受けとめるような在り方のこと。

自己分析に取り組むときは、順番としてはまず【母性】、そして次に【父性】ていうのがすごい大事です。

これは何を言っているかというと、「三日坊主になっちゃった」というときに、「ああ、なんか悲しいな」「情けないな」という気持ちが湧いていたりします。そしてそのときに、いま自分って本当に情けないなぁとか、自分のことを嫌いだなと思っている気持ちをただただ受けとめるというのが【母性】です。

ちょっと情けないという気持ちも、それが充分に味わい尽くせたなと落ち着くタイミングというのがあって、これは人によっては3日かかるときもあるし、1日や1時間でできるときもあるんですけど、充分味わい尽くせたなとなったときに、じゃあ何で三日坊主だったんだっけということを分析するということが これが【父性】です。この順番が、まずすごい大事です。

解決策を考えたけど上手く取り組めていないとき、何が駄目だったのかを理屈的に頭で分析するのではなく、まずは自分の気持ち(感情)を書き出したりして味わってみよう。理由を探すのではなく、いま出てくる自分の気持ちにフォーカスする時間を持つことが大事。

多くの人が、特に男性はやりがちなんですけど、【父性】が先にきてしまうんです。【父性】が先にくると、自分を裁いてしまうので、なんでこんなにできないんだとか、俺は駄目なやつだとか、自分を責めるようなもので終わってしまいます。その状態で、また問題に向き合うのはしんどいので、考えるのをやめて、取り組むのをやめてしまうということもあるでしょう。

先に自分に寄り添う【母性】が必要で、ちゃんとそれで気持ちが落ち着いたら、より前向きに次の試行錯誤に取り組めます。

これは、これは子どもが泣きじゃくっているときに、説教をしても入らないのと一緒で、例えば、子どもが、すごい大事にしているものを、自分の不注意で壊しちゃったと泣いてるときに、親が「だから言ったじゃない」みたいなことを、泣いているときに言っても、その言葉は入らないわけです。

「あぁ 壊れちゃったね」って、「壊れて悲しいね、大事にしてたのに、壊れちゃったよね」とまずはその気持ちに寄り添ってあげて、それでひととおり泣き終わって、感情が消化できたら、自然と端っこに置いてたからだとか、本当はしまっておけばよかったのにとか、次からはどうするかが出てきます。

この順番がすごい大事です。「自己改善」において、上手くいかなかったときに、自分の気持ちをいったん感じてみるということは、結構見過ごしている方が多いので、ぜひ1度試してみてください。

自己改善したい気持ちはあるけど結局そのまま過ごしてしまうとき

  • 人生を豊かにするのに「書く習慣」はとても効果的、漠然とした気持ちや悩みはまず書き出すことから始める
  • 習慣は、成功体験によって強化されるので、小さな成功体験を積み重ねていく
  • 「分かったと思ったけど、やってない」は「分かってない」
  • 本当に分かるためには「事実を見る」「本音である」ことが大切
  • 自分を責めていると事実を見れなくなってしまうので、自分に接する際の母性⇒父性という順番が大事!
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