生きてる意味あるのかな…から抜け出したい

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今回の探究テーマ:営業職 30代 男性 Tさん

退屈やマンネリの根っこを掘っていったら、「生きてる意味あるのかな・・・」というような深い問いが出てきました。

生きる意味を見失うことも、生きる意味を見つけることも、自分の人生を考えたら、そのままでいいやとすることはできない、とても大事なことだとはわかっていますが、どうしたらいいのでしょうか。

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退屈やマンネリの根っこを掘っていったら出てきた「生きてる意味あるのかな」

友人とかとも話していて、共感を得たんですけれども、病んでいるとかではなくて、生き続ける意味を感じなくなってきます。

退屈からは抜け出したい?

退屈からは抜け出したいというのはありますね。

前回「人生の目標が見つからない」の話もありますが、たぶん自分にとって魅力的な状態を、Tさんは全然描けていないんだろうなと思います。

例えば「高級車が手に入るならそれは幸せだよね」というような、世の中で一般的にいったら魅力的かもしれないものをただ並べているだけで、本当に自分が何を欲しているのかということは恐らく顕在的には全然認識できていないという状態なのかもしれません。

(前の記事で)例えば高級な車の感じる魅力が100あって、でも、その高級な車を手に入れようと思ったときに払わなきゃいけない努力や犠牲は、なんとなく感覚的に150~200くらいあるんだろうなと見えてたら、まぁ200も苦労をして手に入る100なんて要らないという話がありました。

それでいうと、本当に魅力を感じるもの、自分はそれ手に入れたいなって思うものは、桁でいうと、魅力度1万や1億、1兆とかになるんだと思うんですよね。なので、まずは本当に自分が望んでいるものみたいなところに、ちゃんとアクセスする必要があるように思います。

腹の底から望んでいることみたいな表現が仮にあったときに、今は頭のところでひねり出した魅力みたいな状態だと思うのですが、もしちゃんと腹の底のところにアクセスできたら、本当に望んでいたことはこれなんだというのが出てきて、先に結論を言ってしまうと、それに本当に気付いてしまったら、魅力度と努力や苦労を天秤にかけたりするまでもなく頑張れちゃう、と思います。

本当に自分が望んでいるものみたいなものに気付くというのは、実は結構怖いことなんですよね。ある種人生が一変してしまうというか、日々の生活や行動が変わっていってしまうことがありえるので、退屈からは確実に抜け出せるけど、そこに気付くとか本当に受け入れる手前では「怖い」という感情が出てくるかもしれません。

実際に、その自分が本当に心の底から望んでいることにたどり着いてしまうのは怖いから、結構みんな観にいかない、気づかないふりをしていることは多々あります。

本当に自分が心の底から望んでいるものと向き合うと、「怖い」「避けたい(逃げたい/考えたくない)」という気持ちが出てくるかもしれません。反対に言うと、そういう感情が出てくるものの中には、実は本当は自分が手に入れたいもの、欲しがっているものがあるのかもしれません。

本当に心の底から望んでいるものについて、何が出てくるかは本当に人によります。こういう仕事がしたいという望みが出てくる人もいれば、パートナーや家族との関係性について出てくる人もいます。住まいや生活環境について望みが出てくる人もいれば、「この車が欲しい」「このアクセサリーが欲しい」という望みが出てくる人もいます。同じ人でも、人生のタイミングによって出てくる望みは変わったりもします。

ただ確実に言えるのは、ちょっとわかりやすい例でいうと、本当に心の奥底から望んでいたことは「自分は総理大臣になりたいって思っているんだ」と気づいたとするじゃないですか。そうしたら、それに向かって頑張り始めるとしたら、人生がだいぶ今と違うことになるのは想像がつくと思うんですけど、そのくらい、本当に望んでいるのはこれなのかとなったら、大変だったりします。

先ほどの話のように、100を手に入れるために200の努力はできないみたいなことは、よくあるんですけど、もし本当に自分が望んでいることが見つかったら、200どころの努力ではなくて、200の努力をやりきっても、次の努力が必要なポイントが出てきて…1万の努力が必要みたいになっても、それでもやっちゃう。やれてしまう、というところがあります。

だって、自分にとってそれは1億以上の魅力があるからみたいなものが、人間の内面には潜んでいるというのが本当に人生の面白いところだなと私は思います。

どうやったら自分が本当は望んでいることを見つけられるのでしょうか

どうすれば……じゃあ、どうしたらいいですかね。

 

顕在的には気づきたいと思っているけど、潜在的には気づきたくない。今の生活とかこれまで築いてきたものが、崩れるかもしれないから。せめぎ合いが自分の中で起きているってことですよね。それはどうしたらいいんですか。

これはもう気づいてしまったらいいですよという感じではあるんですけど、ちゃんと説明をすると、先ほど「腹の底から望んでいる」という表現を使いましたが、身体の部位でどこの部位に意識を向けるかで結構自分の感じ方は違ってくるという技術があります。

身体心理学

心と身体は、不可分のもので、一体であるという考え方をもとにに、身体的現象と心の働きの関係を研究する心理学の一分野。

フォーカシング(Focusing)

まだ言葉にならない気持ちに意識を向け、からだで感じられる感覚を注視し、そこから気付きを得ていく現象や技法。カウンセリングの現場などでも使われている。

いま「胸」に聞いてみてほしいのですが、5年後にどんな状態になっていたいですかというのを胸に聞いたら、何が出てきますか。

とその前に、ここで大事にしてほしいのが、このときに、フィルターかけずに最初にパパッって思い浮かんだものを話すようにしてください。フィルターかけずにというのは、「本当にそんなこと望んでいるのかな」「でも難しいよな」とか、いろいろなフィルターが人間はつい出てくるんですけど、今回はフィルターをかけずに、5年後の最高の状態はこれだなというものはどんな状態か、胸に聞いてみてください。

Tさんと一緒に、「5年後にどんな状態になっていたいか」を自分の胸に意識を向けて問いてみてみる。このとき、いろいろなフィルターをかけないように、まず最初にパパッと浮かんできたものを大事にしてください。

~胸に意識を向けて、5年後の最高の状態を感じる~

フォーカシングで出てきた気持ちは・・・

1つ出てきたのは……家族がほしいというのはあるかもしれないと思いました。

 

家族や家庭に対する幸せ像みたいなものがある反面、自分がモテる感覚がなかったりとか、なんかすごく抵抗感があるので、やりたいことの設定、目標とか腹の底からみたいなことを感じとるのが苦手という風に思ったのかな思うんですけど、いまちょっと胸に問うたらそれが出てきたなぁという気がします。

今出てきたTさんの言葉は、本当の願いなのだろうなと私も思いましたし、だから恐らくその話に踏み込んでいくのは怖いと感じているのではないかと思います。怖いということはより本物である証拠だなという感じも正直ありますが。

そうしたら、5年後、本当に素敵な最高の家族ができている。パートナーがいて、もしかしたらお子さんがいるかもしれません。それを核にして、親戚付き合いやご近所付き合いがあるかもしれません。

それをイメージしたときに、例えばパートナーとこういう関係が育めていたら本当に素晴らしいなとか、子どもがいてもいなくてもいいんですけど、もしいたとしたら、子どもとこういう関係が築けていたら、「本当にいいなぁ」「幸せだなぁ」「豊かな時間だなぁ」「すごい安心して過ごせているなぁ」「満たされているなぁ」「リラックスしているなぁ」「刺激があって毎日ワクワクできてるなぁ」「充実感があるなぁ」…など、そのときの気持ちをより深く感じてみてください。

それをイメージしたときに、誰とどんな関係性が育まれているか、どんな気持ちで家庭で過ごしているか、想像できますか。

関係性というのは、尊敬しあっていてみたいな抽象的な話なのか、お互いに仕事をしながら協力し合って日々をまわしているとか、もう少し具体的な話なのか、どっちの方がよさそうですか。

思い浮かぶものはどっちも出してみてください。

思い浮かぶのは、共働きで、子どもがいたら 送り迎えとか家のこととかはお互いにやるっていう関係がいいなと思います。不満はそれでも出てくると思うので、言わないでため込むのではなくて、ちゃんと伝えあえるような関係を築けたらいいなと思います。

抽象的な方でいうとどうですか。そういう家族と過ごしていたときに、Tさんはその家族で過ごしていることによって、どんな気持ちを感じていられる家庭がいいですか。

気持ちか……気持ちは安心感と充足感というか満たされているような感覚。あとは家庭が幸せになるためにお金を稼ぐという、仕事のモチベーションになっているというところですかね。

それをいま、口にしてみてどんな気持ちが出てきましたか?

魅力度度合いは高いなという感じがします。

 

あとはなんか 今の自分とそこに断絶感があるというか、実現するためにまたいくつか壁がありそうだなという感覚がありますね。そしてそれは何でなのかという疑問も生じます。

本当の気持ちが出てきたときにまず大事なことは?

ここまで話してきましたが、まず1つ大事なことは、その願いから逃げないことです。

……確かに。

もうそろそろ逃げられなくなっている気がするので、諦めて、受け入れて、自分は安心して充足できる家庭を持ちたいと願っているのだということは受け入れる。

理屈で、今の段階でいくつか言えることはあるのですが、ひとつは、もしそれを本当に自分が願っているとしたら、今はその状態ではないじゃないですか。今は、そうではないということを認めないといけない。

今は退屈なのではなくて、寂しい。これを認める。本当は自分は心の底から願っていることは、安心して満たされるパートナーのいる生活。でも今はそうではない。

これを認めるのは、人間の心理的には非常に嫌な類のことです。だけどそこを認めて、退屈というのももちろんあるかもしれないけど、本当は家族が欲しいを願っているのにそうではなくて、寂しんだなとか。悲しいんだなとか。それをまず認める、受け入れることが大切です。

自分の本当に願っていることが出てきたら、きっと同時に「その状態になっていない今(現在)」が必ずある。その状態ではない今を見つめることは、一般的にいって嫌なことなので、抵抗感が出てくるかもしれないけれど、現実を認めて、ちゃんとその悲しみや寂しさ、辛さなどの気持ちがあるよなぁということを受け入れることが大切。

これは何度でもお伝えしますが、【母性】【父性】の話がまずあって、

【母性】と【父性】

心理学や社会学で使われる言葉。一般的に、父性は子どもの自立を促すような姿勢を指し、母性は子どもの気持ちをただ受けとめるような在り方のこと。どちらか片方に偏るのではなく、バランスよく取り扱えることが大事。

まずは「そうだよね、寂しいよね」「悲しいよね」と受け入れてあげることが大事です。ちゃんと自分の気持ちを受け入れてあげることができたら、どうしたらいいかの知恵は自分から必ず湧いてきます。

あとは、まだ自分が本当に望んでいることの解像度が低いので、ちゃんと願いを受け入れて、解像度があがってくるといいと思います。どういう関係性をパートナーと結んでいたいのか。恐らくもっと解像度はあげられるはずです。

先ほどお話されていた共働きかどうかは、正直に言うと、私からみるとどちらでもいいんです。ただ、共働きということに対して、Tさんがそこに付与している意味や持っている価値観があるはずなんですね。

共働きに付与しているイメージというのは、例えばお互いに支え合っているとか、リスペクトしあっているとか、そういう関係はきっと共働きの方がしやすいだろうと思っているとか。共働きではないと、どちらかに依存してしまうような関係性になってしまうとか、おんぶにだっこになってしまうとか、お互いに支え合ってという状態じゃないのが嫌だとか……という風に解像度が高くなってくると、本当に求めているものは何かがより具体的に明らかになっていきます。

仮にですが、もしかしたら夫の方がすごい稼いでいて、妻は専業主婦で(逆でもいいです、妻の方が稼いでいて、夫の方が専業主夫でもいいかもしれないけど)それでもちゃんと家事はこっちがやっておくから稼ぐのよろしくねとリスペクトしあっていて、支え合っていて、依存しあっていないんだったら、実は全然幸せなのかもしれない。

なのでそのイメージをさせている本質、自分が本当に望んでいる状態の本質は何なのかは、丁寧によく観る必要があるし、解像度をあげられるといいと思います。

人は、物事に対して、それぞれ付与している意味や持っている価値観がある。例えば「自分がもし結婚するなら共働きがいい」というイメージがあったときに、何故共働きがいいのか、共働きであることが大切だと思っているのかは、細かく観ていくと、人によって全然出てくるものが違ったりする。

こんな状態がいいなというものが出てきたら、どうして自分はそれが大事なのか、自分が本当に望んでいる状態の本質は何なのかをよく観て、解像度をあげていくことが大事。

自分が本当に望んでいる状態の本質は何なのかの解像度があがってきたら

これはちょっと先の話になってしまいますが、その状態を実現しようと思って、そういうパートナーが得たいと思っていたときに、すごく大事なことは、自分がそれにふさわしい人間であるということです。

仮に、お互いに支え合って、お互いにリスペクトしあっているようなパートナー関係を結びたいのであれば、自分はちゃんと話をできる、人にリスペクトを払える、依存せずに支えたり支えてもらったりというそういうことがちゃんとできる人間であるということがとても大事です。

逆に言うとそれができるようになったら、ちゃんとそういうパートナーと巡り合えるように、世の中はなっていると思うので、もうこの願いからは逃げずに取り組んでみてほしいなと思います。

いやぁ…そうですね。ここだなというすごい感覚が今日あらためてありました。

 

……僕はなんか昔から寂しいという感覚を受け入れるのが苦手というか嫌悪感があって、なんか格好悪いと感じるとかそういう感覚があるかもしれません。

 

自分は寂しいって感じないタイプって、周りにも言ってきましたし、自分でも思っていたんですけど、前にここで【母性】の話をして寝る前とか自分を見つめてみると、やっぱりこう……寂しさとか所属欲求みたいなものが、満たされてないのかなという感覚がある気がしていたので、本当にど真ん中にきたなぁっていう感覚がありました。

まず感じたらいけない感情というのは、ひとつもないというのは、私たちの考え方の大前提であります。寂しいだろうが、腹が立つだろうが、面倒くさいだろうが、嬉しいだろうが、大好きだろうが、感じちゃいけないものはひとつもないいうことを基本として持っています。

多くの人が【父性】の方が先に立つので、男が寂しいとか言っていたら格好悪いとか、そういうのがあったりするのですが、それはいったんちょっと置いておいて、「寂しいって思ってるな」「格好悪いけど思っているなぁ」というのを受け入れてあげることはすごく大事です。

自分は寂しいんだと認めて受け入れた人は、ちゃんと寂しくない状態をつくれるようになります。けど、寂しいのに寂しくないもんと言っている人は、寂しさについて取り扱えないのでずっとそれをある種押し入れにいれたまま抱えたまま生きていかないといけないということが起こります。

だから、観るのはしんどさもあると思いますが、自分は寂しいをちゃんと認めて受け入れることが大事です。

生きてる意味あるのかな…から抜け出したいとき

  • 「本当に自分が心の底から望んでいるもの」にアクセスすることが大事
  • 本当に自分が心の底から望んでいることに気づくことは【怖い】ことが多い、逆に言うと怖さを感じるようだと、本当に自分が望んでいることの可能性が高い
  • 本当に自分が心の底から望んでいることに気づくには、頭で考える以外にも、胸や腹で感じてみるなど他の身体の部位に意識を向けてみることも有効
  • 「本当に望んでいるかな?」「無理じゃないかな」などのフィルターをかけずに「心の底から望んでいること」を一旦受け止められるとよい
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