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友人・恋人・家族……人間関係に何を求めますか?
友人関係、恋人関係、家族関係など「人間関係」 があるわけなんですけど、友人や恋人、家族に、Tさんは何を求めますか。
友人には、笑いと……後は、仕事とか人生とか何でもいいんですけど、目標とか進みたい方向に向かって、モチベートしあえるような話し合いできる関係ですね。あと、一緒に遊んでリフレッシュしてですかね。
恋人や家族は、安心感とか癒しとか…家族の中の夫婦関係だったら、家庭を円満に運ぶために一緒に頑張る…とか、そんな感じですかね。
癒やしかぁ。癒やしってどんな感じですか?
癒やし……癒しというかリラックス。
癒やしって何ですかね、言っててよくわからない…慰められたいとかよしよしされたいとかは全くないです。嫌悪感じゃないですけど、気持ち悪さすらありますね、そういうのは。
例えば結婚をして、Tさんが仕事をすごい頑張って大変なプロジェクトをやっていて、ストレスもすごいかかっていますみたいな日々があったときに、家庭に帰ってきて、奥さんと喋るコミュニケーションにおいて、「いや 今 この仕事このへんがすごい大変でさ。すごい結構胃が痛いんだよね」「すごいね、頑張っているね」みたいな会話は要らないという感じですか?
なくていいですね。
じゃあもう仕事とプライベートは、切り分けられているんですね。
かもしれないですね。なんか別に意識してそうしているつもりはないですけど…
自分がきいてほしいではなくて、相手がそれ聞いてよというのを求めてきても、別にそれ聞きたいわけでもないという感じなんですか?
聞きたいわけでも別にないですね。
全然別の、仮に2人の共通の趣味が釣りだねってなったら、釣りの話をしていればいいし、釣りをしていればいいという感じですかね。
あぁ…そうですね。あとは、仕事のこと…なんですかね、なんかあんまり自分自身のニーズないなぁって感じなんですけど、弱音をこう…吐いたりとか、聞いたりとか、あんまりちょっと得意じゃないので。
仕事の話で、今 こういう状況で、こういう風にしていきたいんだよねとか、これがちょっと大変でさみたいな建設的なお話だったらすごいいいんですけど、どうにもならないことを話してもどうにもならないし、やるしかないってちょっと思ってしまっている節があるかもしれないですね。
でも、さっきの釣りの話だけしていればいいかでいうと、なんかそれはそれで違うなぁという感覚もあります。
Tさんにとって子どもは情緒的な話も受けとめてあげたい存在
想像しづらいイメージしづらいかもしれないんですけど、将来 Tさんに子どもが生まれて、内容は何でもいいんですけど「好きな人に振られた悲しい」とか、「友達と喧嘩してしまって辛い」とか言って、(お父さんの横で)とりあえず1時間泣かせてくれたらきっとすっきりできるから泣かせてくださいと、仮に言われたとしたら、そのときはただ聞いてあげたりするんですか?
それはしたいと思いますね。
それはしたいと思いますねと、割とスッときたね。それはしたいんですね。
何て言うんですかね。子どもは明確に庇護の対象というか、何かそこのプロセスも含めて、成長…教育?教育じゃないですけど、親の役目だなという…成長に携われているなぁという感覚をすごく感じられると思うので、そこはむしろ積極的に頼ってくれたら嬉しいすらありますね。
でも 、恋人や奥さんに同じことをされたら嫌なんだ?
奥さんは、うーんまぁ、なんか程度によるんですけど…同じ大人だし、みたいな。
自分も出したくないんですよね、奥さんに対しては。
そうですね…なんだろうな。
今の話でいくと、Tさんの情緒的なものを受けとめるべき存在は親ということですよね。
ああ、そう……ですかね。なんかあんまりそういうのした記憶ないですけど。
そうですかねというか、だって、Tさんははあなたの子どもの振られた悲しいは受けとめてあげる、庇護の対象だからもう積極的に親としてやってあげたいと思うわけじゃないですか。
その理屈をそのまま持ってくるんだったら、子どもとしてのTさんの情緒的なものを受けとめる役割は親が持っているのかなと。やってもらった記憶はないかもしれないけど。
そうですね。ロジックになるとそうですね。
なんか思い返せば、本当に高校生のときの失恋は、友だちに聞いてもらった記憶がありますね。
それは聞いてもらってどうだったんですか?
んん…なんかこう全体のところでいうと、自分ひとりで…感情に向き合うみたいな時間が、すごい多かったなぁという風に思いますけど、友だちに聞いてもらったこと自体も、なんか心が軽くなったりとか、友だちを信頼しているなぁっていう、信頼できる友だちがいるっていう安心感だったり、っていう風に感じた記憶はありますね。
その今 同棲していた元カノ(冷蔵庫事件の人に)とのことを思い出すと、元カノがすごく好きなアイドルのことを、悪く言っている人が会社でいたと言って、家で泣いていることがあって……なんかものすごいしょうもないと思っちゃったんですよね、そのとき。
思っちゃったんですね。
それに共感して、嫌だったねとかいうのが、ものすごいストレスだった記憶があって、なんかそういう……内容だとちょっときついなって思っちゃいますね。
ちなみに、それも同じ話で自分の娘だったらどうするんですか?
共感して寄り添います。
おお…なるほど。
まぁでも元カノの話でいうと、そもそも、その時にはもう好きじゃなかったみたいなのもあるのかもしれないですね、今 思えば。元カノは、ちょっと自分の中で、同じ対象想定というか、まぁ恋人とか、その配偶者みたいな対象では好きじゃないとか、好きかどうかとかそういう前提が違うかもしれないので、一概に言えないかもしれないです。
友人や恋人という存在をそもそも必要としているのか?
ここまで話を聞いていると、ちょっと極端な言い方をすると、友だちも、恋人やパートナーも要らないのでは、思ったんです。だって自分で仕事を頑張って、自分で仕事上のストレスは解消して、自分で生きていけるわけだから、そんな誰か他の人いります?と。
極端な言い方をするとですが、そう言われて思うことは何かありますか。
いらないことはないですね。
それはなんででしょうか?
自分の幸せとは何かということを、就活とか、都度都度自己分析の中で振り返ると、誰かとの関係性の中に幸せはすごい感じるなぁという結論に毎回至るので、友人関係とか、恋人…はちょっとまだよくわからないですけど、それがいらないということは明確にないなぁと思います。
仕事のストレスはものすごい言ってはないかもしれないですけど、何か嫌だねとかっていうのは、ぼそっと友だちに言ったりはしているなぁと思いましたので、何の悩みとか嫌な気持ちなのかはわからない負の感情を、友人に出しているということはしているかもしれないです。しているかもじゃなくて、してますね。
共感してもらえるとか、共感的傾聴をしてもらえるというのは、人の幸せの1つではあるので、なんか嬉しいときに一緒に喜んでくれるとか、悲しいときに一緒に悲しがってくれるとか、というような関係性は、人間はすごく価値を感じるし、その関係性に幸せを感じるみたいなのは全員が全員絶対にそうだとは言わないけども、多くの人にとってはそれはそうだと思います。
とりあえずここまでの話で、1つ、私として思うのは、とりあえず Tさんが、Tさんの受けとめてもらうべき気持ちを親御さんに受けとめてもらったらいいんじゃないでしょうか。
親御さんですかぁ……。
Tさんが自分が親になったら、子どもにはしてあげたいということを、自分が子どもとしてちゃんと親にしてもらうというのは大事なことではあると思います。
………とても抵抗感がありますね。
とても抵抗感がありますね。また抵抗感のある話が出てきましたね。
そうですね…いうて、親に気持ちを受けとめてもらうのは高校生くらいまでかな、みたいな感覚がありますね。
それは頭での判断なので、何歳になっても別にいいんですよ。
自分の感情は自分で処理しろと思っている人は周りにそれを強いる
ちょっと展開した話になるかもしれませんが、理屈でいうと、こんな風に整理することもできます。
例えばさきほどの、Tさんは自分に子どもが生まれて、その子どもが、好きなアイドルを他の人に貶されたせいで泣いているみたいなことがあったら、親として共感的に寄り添いたいと考えています。だけど、Tさんは、Tさんの感情を共感的に受けとめてもらうみたいなことを、本来やってほしいはずである自分の親からはあまりしてもらえなかった感覚があります。
そうすると、どうするかというと、自分で頑張って処理をするというのを基本するんですね。1番してほしい人にしてもらえないから。友だちは多少あったかもしれないけど、1番してほしいであろう相手である親御さんとはそれが満たされなかった。で、自分で処理をするようになりました。
そうすると何が起こるかというと、周りの人にも、自分で処理しろよって思うようになるんですよ。
女々しいこと言ってるなよとか、何で愚痴っているんだよとか、そういうのは自分で処理するものなの。だって俺はそうしているからね、という世界が起こってくるわけです。そうすると、友たちとか恋人とかで、「恋人こそ愚痴を聞いてもらいあう関係じゃない?」みたいな人が仮にきたとしたら、自分で処理してきた人は「はぁ?」となる。
「でも、嬉しいことを一緒に喜んで、悲しいことを一緒に悲しむのは素晴らしいし…」に対して、「嬉しいことはいいけど 悲しいことは自分で処理しなよ」という風になったら、少なくとも同じパターンを持っている人とだったら上手くいくというのも正直あり得るから、絶対に直さなければいけないとかではないとは思うんですけど、構造としてはこのように整理できるかなという感じです。
刺さりましたね、今。
いやぁ、そうですね……親にしてもらえなかったから、周り、まぁ自分で処理して、そういうものだっていう風に、周りにこう…自分自身が思っていたというのは、経緯は認知していなかったですけど、周りにもそうすべきってすごい思っていたなと思いました。
そうなんですよ。何だったらそれをやって満たされている人とかをみたら、「なんか女々しいし、ずるいな、あいつ」みたいな気持ちも芽生えるかもしれません。俺は頑張って自分で処理しているのに、何であいつは人に助けてもらえているんだよって。
女々しいとか、そうですね…何か言い訳するなよとか、そういうのすごい思っていましたね。
今の話は別に男女限らず起こる話ですけど、これはあの男女差もあるので、一般的に言うと女性の方が、情緒的繋がりを大切にする傾向があります。
そういう女子トークのときは、気持ち中心のコミュニケーションが起こるわけです。「会社でこんなことがあって」「うわーそれ嫌だ!最悪」みたいな。
その会話を男性脳の傾向が強い人間が聞いていると、あんななんか嫌だ、最悪とか、何を愚痴ぐち言うてんねんみたいな気持ちになるかもしれないですけど、でもあの会話によって、共感が満たされているわけです。
それは男女差はやっぱりそれはそれであると思います。だから同性である男友達との付き合いなのと、異性とお付き合いをしていく、人間関係を育んでいくだと、またちょっと1つ取り組むべきハードルがあるかもしれません。
そうですよね…所謂、女性コミュニケーションに、すごい苦手意識というか、嫌悪感じゃないですけど、それに近しいものを持っているなというのを感じていたんですけど、そういうのが自分の中にあったんだなぁ…
ちょっと聞いていると、今日話した内容のところで、Tさんのお父さんが持っている傾向は強そうだなと感じました。何を言っているかというと、最初に言っていた怒りを溜めこむことだったりとか、女々しいものを共有して解消するとかじゃなくって、怒りにして表現したり、変換しちゃっているとか。
お父さんにそういう傾向があって、だからその男性が上手に女々しくなって、上手に癒されていくみたいなのは、あまり見たことがないのかもしれないですね。
父親の特性が僕に…僕にある特性は、父親から受け継いでいる可能性がある?
ストレートに受け継ぐケースと、反動で逆パターンに触れるケースがあるですけど、女々しさを共有しないみたいなのはストレートに受け継いでいるかもしれないですね。
女々しいか…そうですね……そうかもしれない…
言ったってしょうがないが引き起こしがちな事例
あと、追加でいうと、言ったってしょうがないという言葉が、Tさんからちょこちょこ出てくるんですけど、それでいうと、言ったらしょうがあることが多々あってですね。
これは心理学的に言うとというか、心の実際の動きとしては、例えば、出世争いでライバルの同期に負けた。自分も部長を目指してやってたけど、ライバルが部長になった。ポジションは1つしかない。自分は当分部長にはなれないだろうということがあった。このときに「悔しい」「情けない」「自分を嫌いになる」とか、いろいろな気持ちが湧いてくるのが人間じゃないですか。
でも、言ったってしょうがないでしょって、だってもう部長はあの人がなったんだし、結果は変わらないんだからという理屈はそれはそれであるし、この悔しさや情けなさは、もう自分が自分の中で1人で処理します 以上、みたいなことももちろんあり得ます。
あり得るんですけど、でもその処理はすごい大変だから、そこで仮にね、奥さんとかから「なんかなかなかお給料上がらないね」とか「ちょっと生活苦しいよね」とか言われたら、カチンときて、キレたりするわけ、人間って。
出世争いに負けた話を知らない方からすると、突然この人キレたってなるんだけど、実際は怒りとかを自分の中で処理できていないからそうなってしまう。そして、女々しいものを出しちゃいけないと思っているから、「出世争いに負けてすごい悔しい思いをしててさ、おまえにもいい思いをさせてやれなくて申し訳ない…」って言えないから、「うるせーよ!仕事頑張ってんだよこのやろう」とか言うわけです。
お前にこの苦労がわかるかっていう話になるわけなんですけど、わからないんですよ、言ってないから。
本当はというか、1つの方法としては、それを素直に「実はライバルと出世争いをしていたんだけど、少なくとも今回のタイミングではね、負けちゃったんだよね」って。「悔しいし自己嫌悪だし情けないし…」というのを、まぁ例えば奥さんが受けとめてくれて、「あ そうだったの」って、「例えば 私にとってはでも最高の旦那はあなただからね。部長になったか、ならなかったらじゃないからさ」って、そういうコミュニケーションがあったとするじゃないですか。
人生で起こることが全然違うわけですよ。
言ったってしょうがないは1つの処理の仕方ですけど、言ったらしょうがあるの処理の仕方もあるんですよ。それは、パートナーシップを育むという意味でいくと、言ったらしょうがあることの方が、圧倒的に多いので、苦楽を共にして育んでいくものだったりするかなと思います。
自分の感情は自分で処理しろよと思っている場合
- 自分の感情は自分で処理するものだと思っていると、周囲にも当然そうするものだと思っている場合がある
⇒同じタイプの人となら上手くいくかもしれないが自分の価値観をアップデートするのも大事かも - 「言ったってしょうがない」と自己処理していても、感情を本当に自己処理するのは大変で、ふとしたときに無意識的に出てきてしまったりする
⇒言ったってしょうがあるという処理の仕方もあるしそれが人生の豊かさに繋がることもある