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自分は本当はどうしたいのか…答えが出せず、ずっともやもやしています
「結婚したいかなぁ」「いや、しなくていいかなぁ」という気持ちがいったりきたりして数年経ちます。婚活してみようかなと頑張ったりした時期も少しありましたが、結局自分が本当に結婚したいのかよくわからず、続きませんでした。
これは自分がどうしたいかが大事で、理屈で答えが出せるようなことではないと思っているのですが、そういった中途半端な気持ちにはどう対応したらよいですか?こんなときに上手に気持ちを感じる方法はありますか?
結婚したいかも、やっぱりしなくてもいいかも、という気持ちがあったときに、まず最初に私が思ったのは、結婚した方がいいみたいなジャッジ(判断)があるのではないか、ということです。社会的にいうと、「この年齢になったらちゃんと結婚した方が正しい」「結婚しているべきである」みたいなものです。
これは、これを無視せよということでは全然ないのですが、そっちばかりになっているとやっぱりバランスは悪いです。
結婚したいかも、やっぱりしなくてもいいかもみたいな気持ちがあったときには、「結婚しない自分」と「結婚しなくてもいい自分」が両方いるはずです。
もし、「結婚しているべきである」というようなジャッジを持っているかもしれないなという場合は、是非まずは「今 結婚しなくてもいいと思っている自分」にOKを出してあげてください。今 自分は結婚しなくてもいいと思ってんだなぁ、何ならちょっと結婚したくないなぁと思っているんだなぁということに、自分にOKを出して、その自分に寄り添ってあげるような、自分への【母性】がすごく大事です。
結婚すべきなのに、結婚するの面倒くさいなと思っている自分は駄目だなぁは、すごい【父性】的なアプローチなので、「結婚したくないんだなぁ」「面倒くさいと思っているなぁ」というのをよく感じる時間をまず確保してみることが大事です。
・・・うんうん。結婚みたいなテーマで、感じるというのをちょっとやってみようと思いました。
自分の気持ちをただ感じてみるときのコツってありますか
Tさんは自分の気持ちをただ感じてみるを実践したところ・・・
やってみたら感じるってどうやるのって、どうしてもHow的な考え方になってしまって。
実際に自分がやるときにどういう風に感じるんだろう…?となってしまいました。
感じるというときに、1番いいのは身体感覚に意識を向けることです。
フォーカシングという技術がありますが、
これは例えば、結婚したくない自分を感じましょうと言ったときに、1番ちょっと胸が締め付けられるとか、ちょっと肩がこる感じがするとか……そういった身体感覚にフォーカスして、自分の感情を探っていく手法です。
身体と感情は、身体心理学という領域があるくらいすごく密接にくっついています。
これは余談ですけど、本当に人間の身体と感情は密接に結びついているので、私も何度か試したことがあるのですが、人間はスキップしながら泣くことは本当に難しい。怒っていたり、泣いているときに、スキップすることはできないし、逆にスキップしたら、どうしても笑顔になっちゃったりします。
そのくらい身体と感情は関係があるのですが、感情を意識するのではなく、身体の状態に意識を向けることは、感情を感じるということがどうしてもピンとこない方におすすめです。
実際に私も、何か漠然とポジティブかネガティブかでいうとネガティブだなといったときに、結構身体に意識を向けることを実践しています。
どのようにやっているかというと、例えば、漠然としたネガティブな気持ちがあったとき、身体の状態を感じてみたら、「胃がなんか気になるな」「ちょっと胃が痛い感じがあるなぁ」というのが感じ取れました。
なので、「胃が痛いかもしれない」というところから、胃の痛みをさらによく感じてみると、胃が痛いこの感覚は、不安やプレッシャーがあるのかもしれないなぁというのが出てきました。
そこで『不安』『プレッシャー』というキーワードで連想すると、「仕事のあの案件のプレッシャー 今 感じてるのか」と気づき、それに気づいたらますます胃が痛くなってきた、みたいな感じです。
身体感覚に意識を向けるというのは、漠然とした気持ちを感じるときのひとつのやり方だと思います。
あとは感情のボキャブラリーのバリエーションを増やすというのも、もちろんあります。
所謂 「喜怒哀楽」 というものがあります。喜怒哀楽ではなくても、「怒っているのか」「悲しいのか」「傷ついているのか」「疲れているのか」くらいの、パッと思いつく主だった感情の種類というのがあると思います。
「それでいくとどれだろう?」みたいに感じてみる方法です。それでいくと…「傷ついてるんだなぁ」というところから探究していくようなイメージです。
やっぱり左脳的に分析し始めちゃっている気がするんですけど…
語彙力を強化する・・・怒っている / 疲れている / 悲しい とかの中で、その中だったらこれかなぁとなったらそれをさらに具体に感じ取っていくという進め方…?
これって左脳的にやっぱり分析しちゃっていませんか?ただ気持ちを感じるとの違いが難しいです。
そうですよね、仰るとおり、とにかく父性(=理性や思考)に後できてほしいので、まずは自分の気持ちをよく感じることが大事で、気持ちをちゃんと感じる前に分析を始めないようにしたいというのはあります。
といったときに、私がさっき挙げた例も、「胃が痛いな」「これはプレッシャーを感じてるんだな」「プレッシャー・・・あの案件か」と、ある意味分析しています。このプレッシャーの原因なんだろうとか、それに対してプレッシャー感じてるんだろうみたいなのは分析です。
なら、何が違うのかというと、少なくとも問題を解決はしようとしていなくて、自分の気持ちを丁寧に分析して受けとめようとしているというところが重要なポイントです。
ぼんやりと感じてたプレッシャーの原因を見つけて解決しようという目的で分析しているのではなく、「ちゃんとプレッシャーを理解したい」「プレッシャーを受けとめたい」という目的で分析をしている。
感情をちゃんと受けとめるために、「この気持ちはあの出来事から感じているのかぁ」などの理解が役に立つので、丁寧に感情を観にいっている分析であり、早くその状態を解決しないといけないとか、脱しなきゃいけないというために、分析はしていない。
言語で考えだしたら、分析が始まっちゃうじゃないかと思われたりするかもしれないですが、非常に微妙なニュアンスの説明になってしまいますけど違いはそういうイメージです。
気持ちを感じるときのイメージは「子ども」と接するときの感覚
無意識に分析というか、父性的になっちゃうと思うんですけど、そんな自分を責めるのではなく、それをまた捉えて、捉えたなぁという・・・母性的なアプローチを試みるのもいいかなと思いました。
気持ちをまず感じるでいうと、子どもと接するときの感じをイメージしてもらうと、たぶん1番わかりやすいのではないかと思っています。
子どもが、お気に入りの玩具を壊しちゃったと泣いている状態のときに、まず子どもは、自分がどういう状態なのかもよくわかっていなかったりします。子どもは自分でセルフカウンセリングできないので、保護者だったり周りの大人が、「壊れちゃって悲しかったね」と声をかけたりするんですけど、何だったら最初「なんで泣いているの?」から始まってもいいんです。
『なんで泣いているの?』
『壊しちゃったんだ』
『壊しちゃったのか、悲しいね』
『なんでそんなに泣いているの』
『だってすごい大事に思ってたんだもん』
『そうか、そんなに大事に思っていたなら、それはすごく悲しいね』
気持ちを受けとめるというのは、まさにこういうイメージで、分析したり、解決したりしようとしてない。泣き止ませようとすらしてない。
ちなみに、「悲しいときは存分に泣いたらいいよ」「大事なものが壊れたら、悲しいもの」と受けとめてくれる大人がいると、子どもは泣き止むのが非常に早いです。充分に悲しむことで、本当に自分は酷いことをしてしまったとか、悲しいことをしてしまったということを、時間的にいうと早く深く受け止められる。
それをできた後に、やっぱり自然と子どもも反省できますし、この出来事から今後何に気を付けたらいいんだろうということも落ち着いて本質的に考えることができます。
泣いている最中に、『原因は?』『次しないためには?』と言っても、わぁーってなるだけなのは何となく想像がつきますよね。
大人になると、悲しいことが起きたときに突然大声で泣き始めるということはなかなかないと思いますが、大人も子どもと同じで、例えば大事なものが壊れたら悲しくなります。感情を充分に感じ切れていないのに、頭で解決策を考えようとしても浅いところに留まってしまうのは大人も子どもと一緒です。
なんかすごい・・・理解度が深まった気がします。自分を思考で苦しめているというか、感情に蓋をすることで結局解決できないみたいな状態になっていたんだなと思いました。
特に男性は「男なら泣くな」みたいな教育を受けた方も多くいらっしゃると思いますが(女性でも泣くなと言われて育った方はたくさんいるかと思いますが)、これは理屈で言っておくと、左脳/右脳や母性/父性、男性性/女性性みたいな話でいうと左脳・父性・男性性にだいぶ偏っています。
これは今の社会自体が偏っていて、普通に社会に対応しようとすると、偏った自分にどうしてもなってしまいがちです。理屈が求められるし、数字が求められるし、感覚的に喋ったら感覚的に喋るんじゃないと言われる。交感神経と副交感神経でいえば、交感神経優位になっている。
だから意図的に女性性や右脳、感覚や母性みたいな方を大事にする時間を取らないと、交感神経と副交感神経のバランスが悪くなり、自律神経失調症みたいな病気に繋がってしまう可能性もあります。
左脳優位で頑張りすぎたとき、結局1番よくあるのは、病気になるみたいなことです。病気は、身体的な疲労や心理的な疲労、感情や感覚みたいなところが自分に訴えかけてきているという風にも受け取れます。
頭ばかり使ってますよね、こっちのメッセージも聞いてくださいよと。人間それだけでできてないんですよということに耳を傾けることによって、かなりの人生の悩みは解決していくかもしれないですね。
心身の不調和や人間関係の不調和、人生における不調和みたいなものが、要は自分がバランスが取れていないことが、根本原因だったりするときに、何のバランスが取れていないのというと、自分の中の理性や感情みたいなもののバランスが理性の方に傾きすぎてしまっているということはすごく多いとは思います。
パッと理屈で結論の出せない漠然とした気持ちを取り扱いたいときには
- 「社会常識的に結婚すべき」といったジャッジだけに偏らないようにする
- 感じるのが苦手な人は、身体感覚に意識を向けてみるのも効果的な方法!(フォーカシング)
- 「感情を表す言葉の選択肢」の中から今の自分はどれだろう?と探すのも効果的
- 「泣いている子どもに接するイメージ」を大切にする