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「あれ、やらなきゃいけないなぁ」と思いつつ、ついつい先延ばしにしてしまいます
フロー体験理論の話で言うと、ものすごい不安というよりかは、どちらかというと退屈に分類される仕事が目の前に山積しているような状況です。
それをやらないと進まなくて、頑張ってやればその先にフローに感じられるような仕事が待っていたりするというのは頭ではわかっているんですけども、ギリギリにならないと着手できないというか、よく期限を少し伸びてしまうとかを最近頻発していてよくないなぁと。そういう状態が続いちゃっているというのがあり、その状態に対して自己嫌悪もあり…そういう状態です。
ちょっと例えが古くて困っているのでもっといい比喩があったら教えてほしいのですが、私は世代的にドラクエ世代で、しかもドラクエもドラクエ3(1988年販売)をファミコンでやっていたみたいな子ども時代だったんですけど、このゲームはクリアするためには、雑魚キャラを倒していって、レベル上げをしなければいけないという時間があるんですよね。
それ自体は割と単調な作業で、頑張って繰り返し繰り返し同じことをやってレベル上げをしないといけなくて、新しい呪文などを覚えるとやっとボスキャラのところに行けて倒せて、なんか次のステージに行けるみたいなゲームだったのですが、じゃあ何故ゲームの世界で単調な地道なレベル上げを自分たちはやれるのかというと、これはやっぱり「次のフィールドに行きたい」と思っているからやれるんです。
このボスキャラを倒して次の面に行ってみたい。何が待っているんだろうか、そこをやってみたいと思っているから、地味で単調なレベル上げが頑張れるんです。
Tさんの今回のお悩みである「やった方がいいことはわかっているんだけど、ついつい先延ばしにして、ギリギリになってちょっと遅れたりして」というのについてなのですが、すごい人間ってよくできているなと思うのは、これはある意味、まぁこれくらいやれば終わるだろうというラインの見積もりができているってことなんですよね。
自分の能力をフルに発揮したら、3時間で終わるとわかっているから、本当に締切3時間前になってようやく腰をあげるみたいなことをやるわけです。ちょっと時間までに終わらなかったけど、結局今回もどうにかなったな、そういうことができるんです。
そのくらい人間の見積もり能力や把握能力は高くて、3時間で終わるものを先にやってしまって、残りの今日1日の業務時間である5時間を有効に使おうとか、1週間の中で月曜日に終わらせてしまって、火曜~金曜でもっといろいろできるよねということに時間を使うようになっていくためには、さっきゲームの話で言ったような「次のステージに行きたい」みたいなモチベーションが必要です。
そこをなしに、いいから雑魚キャラを倒す工夫をしていこうとか、ビジネスハックやテクニックなんだみたいにやっていっても、別にそれをやったらいけないわけじゃないんですけど、たぶん限界がすぐきてしまうと思います。
そういう意味だと、ちょっと抽象度の高い表現をすると、高い目標を自分の中で設定できるかどうか、それが大事になってくるかなと思います。
何でもかんでも高い目標を立てれば上手くいくわけではない
かなりしっくり感というか、納得感のある話だったなぁと思います。
そうですね……なんかこういうのを20代のときから繰り返ししている気がして、何回やるんだろうなという気持ちもあわせて出てきますね。
高い目標とか自分にとって魅力的なこととか、昔はやりたいこと探しみたいなのが流行っていた時期もあって、自分自身も多分に漏れず…その状態になっていたと思うんですけど、高い目標…さっきの普段より1.5倍の目標を設定するみたいな話は、確かに高いんですけど、気持ち的にやりたいと思えるかってまた別の話だなという風に思っていて、自分としてはピンとこないというか。
目標設定のスキルの話なのかもしれないんですけど、そのあたりはどうしたらいいでしょうか。
本当に機能する目標というところでいうと、高い目標というか、自分にとって魅力的な目標かどうかということはすごく大事です。例えば、オリンピックに出て金メダルを取ろうは、当然高い目標なんですけど、この競技で金メダル取りたい、取れたら嬉しいだろうなぁって、魅力的に思うかどうかは人によります。
なので、魅力的な目標を設定できる、魅力的な状態をイメージできるということが必要なんですけど、Tさんにとっては、例えば5年後、どんな状態が魅力的ですか。
仕事の内容でもいいですし、年収でもいいし、ワークライフバランスみたいな時間みたいなことでもいいし、家族関係や人間関係みたいなことでもいいし、こうなっていたらいいなというのは、どんな状態が思い浮かびますか?
難しいですよね…苦手なんですよ、それを考えるの。
そういうのを考えるときって、項目別に考えた方がいいんですか。年収はこうで 住む場所はこうで…住んでいる家のレベルはこうで……とか。目標設定のスキルの話なのかもしれないんですけど、そのあたりはどうしたらいいでしょうか。
ちなみに今まで自分で目標を設定して、達成したものって何かありますか。
そうですね…だいぶ昔から考えると、行きたい高校があるから受験勉強を頑張ったとか、やっていた部活でレギュラーになるために練習を頑張ったとか、海外旅行に行くためにアルバイトをして貯金頑張ったとか、社会人になってからは 最初の頃は予算を達成するために1年間頑張ったとか。そういうのはいくつかあると思います。
部活でスタメンになりたいとか、海外旅行に行ってみたいというのは、なんで設定できたんですか。
部活をやる上でスタメンで出るというのが、ある種 あたりまえの目標というか、あたりまえだよねというのがあるのかなと、外的なものとして感じていたのかなというのと、内的なものとしてはスタメンじゃないと格好悪いとか、結局試合に出られないのでつまらないとか、何だろうな……恥ずかしいとか惨めとか、そんな気持ちもあったかと思います。
海外旅行に行くのはそれもなんか、退屈みたいなモチベーションだったと思うんですけど、大学生活にあまり意義を感じられていなかったので、海外に行くと何か感じられるかもしれないみたいな漠然とした期待が自分の中にあったというのが理由かなと思います。
ちなみに、「目標を設定する」「ビジョンを描く」「夢を描く」など表現はいろいろあって、その表現もしっくりくるものを選んでくださいというのは結構大事だったりするので、それも是非自分がどの表現だとしっくりくるのかも感じてもらえたらいいなと思います。
そして、まずさっき質問してもらったところにも入っていたんですけど、「項目とかあった方がいいですか?」でいうと、慣れるまでは項目があるといいと思います。
私たちは、仕事でいろいろな場面で、目標を設定してみてくださいということをするんですが、そのときは例えば人生の車輪というフレームがあって、その8項目は参考になるかと思います。
お金面の目標設定はどうしますか、仕事面の目標設定はどうしますか、健康面の目標設定はどうしますか…等、全部で8項目あるんですけど、要は切り口をお渡しして目標設定をしてもらうことはよくあります。
あと、私たちが目標設定でよく使うワークは、死ぬときの弔辞を考えてみてもらうとか、理想の時間割を考えてみてもらう…などです。他にも恐らくいくらでもフレームというかやり方、How toは探せば出てくると思います。
それを使って目標設定をしてみると、意外と出てくるなみたいなケースはもちろんそれはそれであるので、Tさんには今日この後、人生の車輪などを1回書いてみてほしいなというのはそれはそれであります。
目標の魅力度がそれを手に入れるために必要な努力よりも高くないと頑張れない
一方で、Tさんが目標設定は苦手なんですよねと言っていたのは、ちょっと気になったポイントなんですけど、例えば、
年収は1,000万円以上の状態になっていて、かつ 時間的にもゆとりがあって、仕事ばかりというわけじゃなくて、会社員というカタチであれば有給休暇もちゃんと取れているし、土日も休めているし、別に夜にすごい残業するとかじゃないし、それでも1,000万円稼げていて、仕事にすごいやりがいを感じているし、お客さんにも恵まれていて、プライベートも友だち関係や恋人関係では素晴らしい人間関係が築けています。
…というような、誰もが羨むような状態になりたくないですか?と聞かれたら、「なりたいです」という人が多いと思います。
この今の例えを聞いてそれをどのくらい魅力に感じるか。これはもちろん人によると思いますが、割と魅力に感じる人が多い目標だとしたときに、でもそこで大事なのは、それを聞いたときにTさんがどう感じるかなんです。
ああ 魅力的だなぁ、それを実現するために、手に入れるために頑張ろうと思うのか。それとも、別の何かが沸き上がってくるのか。そこはすごく大事なポイントだと思います。
まさにそういう状態かもしれません。人生の車輪とかは過去にやったことがあって、過去に書いたときはそれぞれそれっぽい、今 言ってくださったような、それっぽいようなことを書けるんですけど。
書けたときに、魅力的に感じるは感じるんですけど、魅力度合いは確かに そうなれるんならなった方がいいなぁっていう温度感で、渇望しているというか、高くそれを強くそれを求めているかっていうと、そういうわけではないなっていうのがたぶんあったんだと思います。
なので設定してそのままということが起きていたような気がしますね。
強く求めているわけじゃないなというのは、魅力的じゃないなってことですか?
いや 魅力的ではあるけれども……本気でなりたい度は強くはないというか……
すごい高級な車を欲しいですか?と言われたら、まぁ欲しいですけど、そんなにそこに向けて努力してってほどではないっていう感じですかね。
例えば高級な車の感じる魅力が100あって、でも、その高級な車を手に入れようと思ったときに払わなきゃいけない努力や犠牲は、なんとなく感覚的に150~200くらいあるんだろうなと見えてたら、まぁ200も苦労をして手に入る100なんて要らないという単純なこの不等号の話みたいな感じでしょうか。
まぁ、100しか魅力ないし、でも手に入れるためには200くらい大変なんだろうなという感じですか?
それは結構正しいかもしれません。正しいというか、結構適切な表現かもしれません。
じゃあ……今の退屈な生活のままでもいいんじゃないでしょうか。
頑張れば手に入るんだけど、その頑張りはしたくないということを選ぶことは全然本人の権利というか、選べばいいことなので。退屈だけど、チャレンジするぐらいだったらまぁ退屈のままいこうというのを、本当に納得して受け入れられていたら、たぶんそれはそれで結構楽しく過ごせるのではないでしょうか。
むむむ…そうなのかな?
(次の記事に続く)
女性性(情緒、感情、感覚領域)を上手く取り扱えるようになるために
- 「やらなきゃいけないことをやる」ためには、「何のためにやるのか」が必要
- 「やらなきゃいけないことを先延ばしにしてしまう」は自分が本当に手に入れたいモノ・欲しいモノが見えなくなっているときに起こる
- 結局大事なことは、自分にとって本当に魅力的なモノを探求すること
- 書き出してみても何だか頑張れないというときは、それに向けて努力するよりも魅力に感じる度合いの方が低いのかも