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人と意見や価値観の違いでぶつかることが嫌だ
ざっくりいうと、Tさんが自身の人間関係において、相手とぶつらかないようにするが、ある種 最優先になっています、と。
そうすると、友だちだろうが、お客さんだろうが、上司だろうが、恋人だろうが、どんな関係においても全部一緒だと思うんですけど、これ ぶつかりそうだなとなったら、ぶつからないようにするために、相手に合わせるか、その人には会わないようにするかの2択が多くなってしまう。
この人とそのまま会い続けると喧嘩になるかもしれないから、もうこの人との飲み会に行かないようにしようとするか、もしくは、自分は意見が違うけども相手に合わせてそうですよねとするか、みたいな。
そうすることによって、誰かとぶつかるということを回避するという、今はそういう人間関係が多くなっていますという話がある、一旦それはそういう認識でいいですかね。
はい、あってます。まさに昨日もそれあったなって、聞きながら、ちょっと笑いそうになりました。
今後、例えば、Tさんが誰かと夫婦やパートナーシップを育んでいくみたいなことも考えると、自分の意見は飲み込むか、相手と距離を取るかしか選択肢がないのは、他者と深く豊かな関係を育むというのは難しいですよね。
じゃあ、それってどうしたらいいんでしょうか。という話が、今日のスタート地点かなという感じでいますがそんな感じでいいでしょうか。
はい、あってます。そうですね。
そしたら、まず最初に、私の方から聞きたいんですけど、相手とぶつかっちゃうとどうなると思っているのでしょうか。
ぶつかると…険悪な雰囲気になったりとか、怒りとか、悲しみみたいなネガティブな感情がぶつけられたりぶつけたりするとか、その瞬間が…そうですね、心地よくない状況になるという印象がすごい強いですね。
Tさんにとって人とぶつかるとはどういう意味を持っているのか
で、そのままというか、要はぶつけたら、「悪い結果になる」「雰囲気が悪くなる」。そうなったら、それはそれ以上発展もしないし、取り返しもつかないから、ぶつかる意味がないという感じですかね。
うーん、まぁなんか関係性によって違うと思うんですけど、幼少期を振り返ると、父親からの記憶がすごく強くて、こちらが納得感がないことに対しても、何か言うと……何ですかね…ちょっとすごい怒ったりとか。
暴力…まぁ暴力…怒られたりとか、言い返せないみたいな、経験がすごい多かったなという風な記憶があるので、その延長線上で、意見の対立している中でコミュニケーションしても、自分が納得感を感じながら、お互いに納得感を得ながら、話が収束するみたいなイメージはちょっと持てていないという感じです。
そうだったときに、そのお父さんとの記憶はそれはそれであるわけですけど、意見は違うけど違う意見をちゃんと表明して、話し合った結果、上手くいったなという経験は人生で全然ないですか。
うーん……ないことはないと思うんですけど、そうじゃない方が多い。そういう印象や思い込みかもしれないですけど、思い返すとこう、意見の交換とか話し合いというよりかは、所属していたコミュニティが、例えばこう部活だと、スポーツの上手い人の意見が正しいとか。職場でも営業会社なので、営業数字が高い人の方が高い人が言っていることが正しいとか。
そういう組織にいたので、スポーツが上手い人と営業数字がいい人、(そういう人)の発言に従うみたいな暗黙の了解みたいなのあった気がしますね。
なので、質問に答えると、なくはないと思うんですけど、自分の中の当たり前的に多くはない。そういう思いがありますね。
自分の意見を言える関係性と言えない関係性の違いは?
例えばですけど、会社の人でも、学生時代の部活やサークルの友人関係でも、何でもいいんですけど、「今日のお昼どうしようか」という場面って、あるじゃないですか。
そのときに、自分はうどんが食べたいなって思ったけど、それを表明する前に誰かが、「ラーメン行こうよ」と言いましたという状態があったときに、そのとき今までTさんはどうしてました?。
関係性によるんですけど大多数は、「ラーメンいいね」と言って、別にラーメン食べたくなくてもラーメン行ってましたね。
関係性によるの関係性がそれでいくと知りたいですね。どういう関係性だと、「いや、ラーメンはないわ。うどんだよ」という話をしてたんですか。
そうですね……関係性、なんですかね。同じコミュニティでも、この人には言えて この人には言えないみたいなのはあるので、難しいですね。
どういう人には言えたんですか。
今 パッと浮かぶのは、地元の草野球チームで一緒にやっている友人で、なんですかね…なんかこう彼の言葉を借りると、彼の言葉そのままじゃないですけど、僕自身にすごい…信頼と信用を置いてくれているという、言葉でも態度でもすごい示してくれるので、僕が何を言っても、何ですかね、不快に感じないだろうなという安心感がある人はいますね。
彼が、「ラーメン行こうよ」と言ってきて、でも Tさんは、今日はうどんの気持ちだなというときは、「いや、ラーメンじゃなくてうどん行こうよ」と言えるんですか。
言えますね。
でも、相手はラーメンと言っているんだから、うどん行こうよっていったら不快になりそうじゃないですか。
その人は大丈夫ですね。
その人はなんで大丈夫なんですか。
何でですかね…その人自身が、結構周りにそれこそ合わせるよみたいなタイプということが1つと、まぁそうですね…僕とのコミュニケーション取るときに、一方的な主張をしあうというよりかは、お互いの妥協点といいますか、納得感が最大化されるようなところを探るような、コミュニケーションがなんか多いなぁと振り返ると思いますので、そういったところかなという気がします。
まぁじゃあ、例えばですけど、「いや、ラーメンがいい」 「いや、うどんがいい」をどうしようかとなったときに、その人とだと「今日はラーメンだけど、明日はうどん行こうね」とか、「今日はラーメンでもうどんでも、どちらかが勝ってどちらかが負けになっちゃうから、もういっそのことパスタ行こう」とか、そういう話し合いがその人とはできるんですね。
そうですね…意識してなかったですけど、なんかすごいこう…向こうがどう思っているかって、言葉にしてコミュニケーション取ったことはないですけど、僕が一方的に我慢して、一緒に過ごしているという感覚はないですね。
どうしてその人には意見が違っても言えるのか
ちょっといったん雑に言うんですけど、という人間関係をみんなと育んだらいいです。
……!!!わかりました!!
と言って、できます?
冗談です、すみません(笑)できないです。
話としては、1つ 他の人とも育んだらいいですなのですが、それをやろうと思ったら、何がイメージされますか。何が出てきますか。
そうですねぇ…何かその彼は、僕が自分の意思を言っても、否定してこないとか、彼自身の気分が害されないだろうとか、感情的にならないとか、そういう安心感をすごい持っていて。まぁそういった点が自分の考えとか意思をこう…不安なく主張できるっていうことができている要因かなぁという風に思いますね。
なので自分発信が全くないことはないと思いますけど、彼の人柄とか、僕自身に対する信頼とか、僕がコントロールしていない範囲において、成り立っている部分が結構大きいなぁという気がします。
ちなみに、その彼みたいな振舞いや態度をTさんが他の人にしましょうと言われたらどう思いますか。
好きじゃない人にはしたくないです。
好きじゃない人にはしたくない。好きな人だったらOKということですか。
ああ、そうですね、相手を尊重したいとか、相手が居心地よくなってほしいとか、相手が居心地がいいというのは、こっちに気を遣わせないという意味も含めてですけど、という風にこう思えるので、自分が好きだなぁと感じる人だったら、そういう態度とりたいなと思いますね。
では、どういう人が好きなんですか。
……難しいですね、好きな定義。
次回は「好きな人にだったら頑張れるけど、好きでい続けることが大変、相手を好きでい続けるために大事なことは」を探究する予定です。
Tさんの感じている「人間関係」の世界は…
- 「納得のいく話し合い」はこの世界にはない
- 権力者が一方的に言ってくるか、成果を出しているものが偉い
「ぶつからない」ようにすると「距離を取る」か「相手に合わせるか」しかない
- 誰かと深い人間関係を築いていく、パートナーシップを育むとすると、その2つしか選択肢がないのは厳しいかもしれない