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人は【父性】と【母性】両面持っている

父性と母性の話って、たぶん今まで石川さんと何度もしてると思うんですけど、結局ずっと同じとこで悩んでるなみたいな感じに、ちょっと今気づきました。
父性の方に否定的なFさんがいるんですよね。父性は、上下をはっきりとさせていくので、そういうのをやめたいなという気持ちがFさんにあるように感じます。一方で、結構ちゃんとロジカルにやりたいみたいな、その父性的、男性的、左脳的な方ですけど、それをちゃんとやりたいという、そういうFさんもいるじゃないですか。
で、母性を大事にしたいって言っている。「そんな上下とかじゃなくて、人として対等に接したい」というのは、どちらかというと母性的な方の話をしてますけど、と言いつつ、母性でべったりな人たち見ると、「甘やかしすぎで、あれはダメだろう」という気持ちも湧いてきてるはずなんです。
あれ?これは自分の中でどういうことなんだっけ、っていうことの整理が大事なのかなと思います。

確かに。いやあ、そうすね。その、いや、そうですね。ありがとうございます。
その親子レイヤーでもそうだし、社会レイヤーでもフラクタルに似たようなことが起こります。母性重視でいくと、共産主義的な発想が強くなってくるので、社会全体で生まれてきた全ての子どもたちを、できるだけ平等に大切に扱いたいよねという発想になります。義務教育というのは、基本的にはどそういう思想がベースにあります。
一方で、教育の中でも、公立と私立で考えると、私立に入るというのは、極端にいえばお金のある人が、より良い教育を得て、競争社会に出ていく時に、より有利な発射台をつける、みたいな世界ですよね。これは、もう両方存在してるんです、教育の概念として。で、どっちがいい悪いってのは非常に難しいです。
私の個人の好みとしては、少なくとも高校生ぐらいまでの公教育の中では、共同体主義的な、いろいろな人がいて社会が成り立ってるんだということを実感できる環境がいいなと思うところはあるんです。それはでも、自分好みであり価値観だなと思ってます。
私からすると、もう本当に幼稚園、小学校、中学校ぐらいから競争原理のみで動いていって、弱肉強食的なものが強くなっていくのは、ちょっとその先の社会的に幸せな未来が、あんまりイメージできないからなんですけど。それは自分がそういう思想よりなんだなみたいなことを自覚していれば、「あ、自分はこの話についてこの角度で見てるから、こういう解釈でそうなるよな」という話になるなとは思います。

なるほど。いや、そうっすよね。あの、僕が前回話したとある投稿※を、石川さんは読んでなかったわけじゃないですか。読んでなくて、その回答が、すぐ出てくるっていうのが、すごいっすね。僕、1ヶ月ずっとぐるぐる悩んでたんですけど。
※ある人が「公立の学校が荒れてるから、私立の学校に通わせるみたいな考え方は、公立の学校を見下しているのではないかとFacebookで投稿していた。そこからFさんは人を見下すということについて、あれこれ考え、悩んでいた。
すごいかどうかはさておき、そういう意味だと、私にとっても重要なテーマで、考え続けてきていることですからね。
私は投稿は実際に読んではいないんですけど、恐らく雑に「共産主義寄りか、資本主義寄りか」みたいに言ったときに、その人は、公教育の共産主義的側面を賛美したんだと思うんです。そうしたときに、「いや、資本主義的な観点が抜け落ちてるだろう」と批判が起きるのは当然ありえることです。
それを自覚して投稿されたら、「まあ、それはこういう反論がくるだろうな」とご本人は思われてるでしょうし。「なんでこんなこと言ってくるんだ、分かってねえな」ってなってるんだったら、ちょっとまだ両側面からみるみたいなことが足りていなかったりや統合が足りないのかもしれないしみたいに思います。
ちなみに私はそういう意味だと、「何でもバランスとか、いろいろありますよね」と言っちゃうので、歯切れが悪くですね。「あいつの主張はよくわからない。八方美人だ」みたいに、なっちゃうところがあるんですけど、それもまあしょうがないなと思っています。

まあ、そうすよね。まあ、最終的には、やっぱバランスですもんね。どの辺のバランス感覚が好きかとか、生きやすいかとか、そういう話っすよね。
自分の子どもに対して望むものや与えたいものの話はそれはそれである
私も実際、現実的に、自分の子どもとの関係とかも離婚してとかもあってあれですけど、我が子のことを一旦考えたら、その荒れてる学校より、整ってる学校に入れたいなは、普通にそう思いますよ。
だけど一方で、子どもに対して、「でも、じゃあそういう環境に入れたけど、そうじゃないものもひっくるめて社会で、社会でみんなで生きてんだよ」というのは、どっかでちゃんと実感してほしいとか、伝えたいとかというのは、それはそれで思います。
自分の活動としては、この分断してセパレートしていって階層化していく、お金持ちの世界と貧困の世界とか、高学歴の世界とそうじゃない低学歴の世界みたいにセパレートしていく世界よりは、もうちょっと何とかいろいろできないかなっていろいろな取り組みをし続けています。

なるほど。
今、最後に言いたくなったのは、批判されて腹が立つということが、もしあったとしたら、その批判すしてきた人の立場とかに対する配慮とか、考察とか、共感みたいなのが、自分の中でまだ足りなかったんだろうなと、私だったら思うんです。
私が「Aがいいと思いますよね」と言ったときに、「いや、Bの立場からしたらおかしいですよ」と言われたら、「いや、分かります。Bの立場からしたらそうですよね」と、私は返せるように、ちゃんと考え抜きたいって思うんです。
それでも、「私は、もう今回はAでいくしかないと思っていて。Bももちろんそうなんですけど、こうで、こうで、こうで、今回、限られた予算や時間の中で、例えば行政として決断するんだったら、ここはAを取りに行った方がいいって、私は思ってるんですよね」と返せる自分でありたい。
「Bだって!」言われたときに、「はぁ?」みたいになるとしたら、それはたぶんBのことについて、あんまり考えたことがなかったりとか、Bの意見を言いたい人たちの立場とか歴史とかを受け止めることが、まだ自分の中にできてないのではないかなとか。そういう発想を私はたぶんする方だと思います。

なるほど。ありがとうございます。はい。
【父性】と【母性】両方を大事にして生きるとは?
- 【父性】と【母性】もだし、【資本主義的】と【共産主義的】など、さまざまな位置や立場を表わす言葉はあるけど…自分の価値観や思想・好みがどこに偏っているかに自覚的であることは1つ大事かもしれません
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